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フェロモン仮説=男と女はなぜに惹かれ合うのか

 本稿は、アメブロに掲載した永築當果の真理探訪=男と女の不思議 論文集の中で1つのテーマとしているものです。
 ヒトも動物であり、動物のオス・メスが惹かれ合う原因からアプローチを試みました。

五感の一つに嗅覚あり
 ヒトには五感というものがある。動物なら皆それを持っている。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の5つである。そして、それぞれ感覚器官を2タイプ備えているものがかなり多い。それを表にしてみよう。

 感覚の種別  発信源   受容体タイプⅠ   受容体タイプⅡ 
  視 覚    電磁波    目(可視光線)   皮膚(赤外線)
  聴 覚    音 波    耳(可聴音)     検知器(超音波)
  嗅 覚    化学物質  鼻(臭気)      鼻(フェロモン匂)
  味 覚    化学物質  味蕾(味)      検知器(毒)
  触 覚    圧力刺激  皮膚・体毛     鋭敏な長いヒゲ

 少々奇異な分類法であるが、1種類の発信源に対して、動物は、それを感知する受容体(センサー)を2種類持っていることが多いから、ヒト中心のとらえ方とは多少異なる。
 五感の中で、味覚と触角は至近距離での接触によって感知するのに対し、視覚、聴覚そして嗅覚は離れた場所の状況を感知するためのものであり、動物が生存する上で特に重要なものである。
 なお、感覚には実はもう2つある。
 一つは微弱電流に反応するものであり、魚類など水中の動物に発達しているが、陸上動物は地中に棲むものを除いてその機能を完全に喪失している。加えて、魚類の中には、強電流を発したり、それを感知する器官を備えているものすらいる。
 もう一つは、地磁気の感知であり、渡り鳥などがこれを備えていると考えられている。

 ヒトの五感について、最も多用するものから順に説明していこう。
 ヒトは、相対的に視覚を発達させているのが特徴的である。周囲の状況を察知するために、昼間であれば無意識のうちに絶えず様々な物を見続けている。その物の形と色と距離をひっきりなしに認識し続けており、何かが少しでも動けば、その状況変化によって、自分がどう行動するか、その判断の拠り所としている。
 こうして、ヒトは視覚中心の生活をしているのである。
 そして、視覚に関わる器官を2つ備えている。可視光線は目で、赤外線は皮膚で感知する。どちらも電磁波であり、波長が多少異なるだけである。目が見えない方でも、熱源の近くに行くと、電磁波である赤外線を皮膚で感知して、ストーブがここにあるなと分かる。 
 同じ電磁波でありながら、感知器官が別であるから、可視光線と赤外線は全く別のものとして認識しているだけである。そして、感知器官が異なるから、当然に脳の情報処理も別の場所にある。
 なお、ヒトの視覚が発達しているといえども、他の動物に比較すれば大したものではなく、哺乳類においては上位にランクされるものの、動物界においては中程度と考えた方がよかろう。なんせ、鳥類にあっては、ヒトが持っている3波長のセンサーのほかに紫外線1波長のセンサーを別途保有し、何と4原色の世界に住んでおり、視力も非常に高い。

 相対的に2番目に発達しているヒトの聴覚、これは音波のキャッチ能力であるが、まあまあ優れているとはいえ、ヒトはコウモリのように超音波を感知する器官を備えていない。コウモリは暗闇であっても、自らが発する超音波の跳ね返りの強弱と時間から、どんな物がどこにあるのかが分かるのであるが、可聴音と超音波は全く別のものとして認識していることは間違いない。
 なお、超音波の感覚器官は、夜行性の生活が顕著なネズミなどにもあり、また、水生生活に馴染んだクジラ類もコミュニケーションのために有しており、過去に水生生活を経験したゾウもこれを持ち備えている。

 次に味覚であるが、これは化学物質を感知する能力であり、舌に存在するセンサー「味蕾(みらい)」で感知する。ヒトは文明の発達とともに様々なものを食べるようになって、大人になるほど感度が上がるようであり、動物界において上位にランクされよう。しかし、一部の草食動物には舌に毒素検知器があるようでもあり、この機能はヒトは備えていない。

 4つ目が触覚であるが、皮膚と体毛で圧迫を感じ、物の存在を感知している。なお、ネズミやネコのような夜行性動物は、鋭敏な長いヒゲで研ぎ澄まされた触覚をもつものが多い。

 最後に嗅覚であるが、哺乳類においては、非常に鋭敏なものを持ち備えており、五感の中では相対的に最も発達させている。ところが、霊長類は樹上生活者ということもあって、総じて感度が鈍く、中でも類人猿は鈍感であり、殊にヒトに至っては、これを随分と退化させてしまっている。
 臭気とフェロモン匂は、ともに化学物質を感知して感覚するのであるが、感知する器官は、通常は鼻の中にある別々の器官であって、その情報を伝達する経路や処理する場所も異なる。そして、ヒトは、フェロモン匂の感知能力を痕跡程度近くにまで退化させてしまっているのである。
 なお、本稿においては、通常の鼻で感知する一般的なにおいを「臭い・臭」と表記し、フェロモンを「匂い・匂」と表記することとする。

 そのフェロモンとはどんなものか。ここからは、山元大輔著<男と女はなぜ惹きあうのかー「フェロモン」学入門ー>(中公新書ラクレ 2004年)及び市川眞澄著<なぜあの上司は虫が好かないかーヒトを操るフェロモンの力ー>(小学館 2008年)などからの部分要約に私見を交えて話を進めよう。
 目が見えない方に、光とはどんなもので、赤と白はこのように違うと説明しても、容易には理解してもらえない。まして、複雑で微妙な虹の七色ともなると、説明することは不可能となる。それと同様に、フェロモン匂を感知する機能をほとんど喪失しているヒトが、これを理解するには大きな困難を伴うのであるが順々に説明していこう。
 臭気の場合、例えば「きな臭い」と感知して「何かが燃えているな」と認識するのであり、体臭についても、汗臭さやワキガ臭、年寄りの加齢臭というものは、汗の腐敗による臭気として認識しているのである。
 ところが、フェロモン匂の場合は、例えば「???」と感知して、振り返ってみたら、他人が後ろにいたことを知るのである。もっとも、こんなことは極めてマレにしか生じない。ここで「???」と表現するしかないのは、ほとんどのヒトはフェロモン匂の感知能力が極めて劣化しているからであり、加えて、フェロモン匂を感知しても、それがヒトの脳の意識の世界に浮上することはなく、第六感が働いたのかなと錯覚する程度のものであるから、言葉で表すことができないのである。言葉と言うものは、意識の世界を表現するものであり、無意識の世界は語りえないのであるからして、余計そうなってしまうのである。

 余談となるが、フェロモン匂の世界に生きているのが昆虫である。そして、古来、日本人は、説明のつかない感情の動きを虫に託し、「虫が好かない」「虫の居所が悪い」「浮気の虫が騒ぎ出す」「虫の知らせ」などと表現して来た。これらは言い得て妙で、古代の人々は無意識的にフェロモンを知っていたのか、あるいは太古の生命記憶が呼び覚まされたのか、そんなことまで想像させられる。

 ところで、嗅覚が相対的に発達しているイヌはどうしているであろうか。
 イヌは鼻から息を吸い込む度に、様々な臭いや匂いを嗅いでいる。そして、その種別と強弱を絶えず知覚し、風上のどの程度の距離に何が存在するのかを認識し、そうした嗅覚中心の生活をしていると考えられている。ヒトの場合は、何か特殊な臭いが、それも濃厚に漂ってきて初めて臭気を感ずるだけであり、1時間も2時間も何の臭いも認識しないことがいくらでもあるのとは大違いである。
 動物は、微細な状況変化に対しても、ハッとして反射的な行動を取ることが多いのであるが、ヒトは専ら視覚信号に反応するのに対し、イヌは専ら嗅覚信号に反応していると考えて良いのである。

 ヒトの嗅覚の衰えがどの程度ひどいものであるかは、日常生活の不都合さを比較してみればよく理解できる。ヒトに最も発達した視覚を失うと、一人で出歩くことは非常な困難を伴うし、勝手知った家の中でも不自由する。次に、聴覚を失ったヒトはどうであろうか。不自由さはあるものの視覚障害ほどのことはない。それが嗅覚障害となると、臭気を全く感じなくても不自由さは全くないと言ってよいほどであり、つまり、健常者であっても臭覚はほとんど何の役にも立っていないのである。
 日常生活において、嗅覚障害で困るのは、きな臭さを感じず、ボヤが火事になることぐらいと言っても過言ではない。
 これでは嗅覚障害者を不当に差別することになるから、若干補足するが、食べ物の味は味覚と嗅覚があいまって感ずるのであるから、嗅覚を失うと、何を食べても美味しくないという苦悩を抱え込むことになって、不幸な生活を強いられることになり、障害は障害として認知せねばならない。

 いずれにしても、ヒトは嗅覚の世界をほとんど知らないのである。
 参考までに、盲目で生まれたイヌについて、その行動を紹介しておこう。最初はなかなか犬小屋から出ようとせず、外界を怖がっていたが、その後、何不自由なく庭を走り回るようになり、その様は、本当に盲目なのか疑いたくなるようであったという。
 こうした行動を取るようになるのは、イヌは嗅覚の世界で生きており、補助的に聴覚を使い、視覚は補助の補助に過ぎないからである。
 なお、哺乳類一般の傾向であるが、ヒトのように3原色のセンサーを備えている種はマレで、赤と緑の2つのセンサーしか持ち合わせていない種が多く、それも片方のセンサーは補助的なもので、もう片方のセンサーだけで識別し、モノクロの世界に生きている。これは、盲導犬が歩行者信号の色を識別できないことからも明らかなことである。

フェロモン匂の世界
 さて、嗅覚の世界も先に紹介したように2つあり、臭気とフェロモン匂がある。臭気に関してはヒトは使いもしないのに立派過ぎるほどの器官を持っている。しかし、とんでもない濃い濃度にならないと働かず、まことに鈍感になってしまっている。もう一方のフェロモン匂に対しては、一般の動物がそれを感知する高感度の器官を備えているのに対し、ヒトはそれをあらかた喪失しようとしている。
 フェロモン匂は、異性を惹き付ける匂いとして一般に理解されているが、確かにそうであるものの、日常生活において常時必要とするものである。
 一言で言えば、同じ種の個体が自群の仲間であるのか余所者であるのかを個体識別するためのものである。よって、異種間においては、ごく近い種間以外は基本的に感知し得ないものである。

 ヒトの場合、原初社会では、フェロモン匂は、既に極度に鈍感であったであろうとはいえ、どれだけかの役割を果たしていたと推測されるのであるが、しかし、今日の高度に文明化したヒト社会にあっては、フェロモン匂で仲間と余所者の識別ができないと不都合が生ずるわけはなく、視覚でもって十分に代替可能であり、逆に、フェロモン匂は感知できない方が都合が良い。
 ヒトにフェロモン匂を嗅ぎ分けられる鋭敏な能力があったら、かえって迷惑千万なことになる。満員電車での通勤や大きなオフィスで働くことが全く不可能になるからである。
 我々ヒトは、先ずは視覚に頼った生活をしているから、大勢のヒトがいても、赤の他人であることは見れば分かるのであり、他人が物陰に隠れてしまえば一切見えなくなるから、一向に気にならなくなる。
 しかし、フェロモン匂を十分に嗅ぎ分ける能力を備えていると、息を吸う度に様々な大勢のヒトのフェロモン匂を感知してしまう。物陰になって見えない所にも、それぞれ個性的なヒトが大勢いるなという情報が絶え間なく脳に入ってくるのである。脳の中でそれを整理整頓し続けなければならない。
 これだけで済めばよいが、男にとっては地獄の苦しみを味合わされることになる。うら若き女性が排卵期を迎え、それをフェロモン匂として情報発信し続ける。つまり、メスの発情宣言である。そうした女性を何人も察知してしまう。その匂いを嗅いだ男達は、発情スイッチが入りっ放しになり、勝手に足があちこちの方向へ動き出し、その女性達に接近し、セックスの誘いをせずにはおれないという強い情動にかられる。男達は、これを理性でもってグッと我慢しなければならないのである。もはや仕事どころではない。ズボンの中でいきり立つ一物をどうやってなだめるのか、丸一日それに悪戦苦闘させられるのである。これを地獄と言わずして何と言おうか。
 幸か不幸か、ヒトは、こうしたフェロモン匂を嗅ぐ能力を大幅に減退させているから、満員電車で通勤したり、大きなオフィスで働くこともできるのである。
 それに比して、ヒトの知能とどれだけも違わないチンパンジーの場合は、もし、彼らが道具の使用を高度に発達させて、遠い将来に彼らの社会を文明化させ得たとしても、ヒト社会と同様な、映画で登場する「猿の惑星」のような高度文明社会を築くことは決してできない。なぜならば、彼らにはフェロモン匂がネックになって、オスどもは絶対に仕事が手に付かないからである。

 ところが、ヒトのオスの中にも、チンパンジーのオスのようにフェロモン匂を嗅ぐ能力を持ち備えた者の存在を否定し得ないであろう。それは、繰り返し強姦罪で刑務所を出入りする男達の中にいる。彼らは理性でもってブレーキを掛けることができず、性的情動に突き動かされてしまうのであろう。彼らが社会復帰するためには、嗅覚器官を除去するか、フェロモン匂を情報処理する脳の特定部分を摘出する以外に方法はないであろう。
 これは、人権侵害に当たる方法ではあるが、例は異なるものの、過去にドイツにおいて、男の同性愛者の性犯罪に対して類似した手術が行なわれ、一定の成果を見ている。

 フェロモンの感知能力は、チンパンジーのみならず動物の社会生活では、群れの形成・維持に欠くことができないものであり、これを嗅ぐ能力を完全に失ったクジラ類にあっては、超音波でもって、これを代用しているのである。(鳥類も多くの種がこの能力を欠いているようだが、これ以降は、哺乳類に絞って記述する。)
 しかしながら、ヒトの祖先は、フェロモン匂を感知する器官を大きく退化させてしまい、代替器官もない。これは、人類が水生進化してきた中で、フェロモン匂の発信器官であるアポクリン腺(チンパンジーには全身の皮膚に汗腺として存在する)を無用の長物であるからとして順次廃棄し、乳首、脇の下、陰部にどれだけか残すのみとなってしまったのと併せて、感知器官についても、フェロモン匂がどれだけか発せたれたとしても水に溶かされてしまって何の信号も鼻に届かなくなって、もはやこれは宝の持ち腐れであるとして、これを順次退化させ、その遺伝子を壊れるに任せるしかなかったと想像される。
(ここで「人類が水生進化してきた」と言ったが、これについては、人類水生進化説で詳述しているので、お時間があれば覗いていただきたい。)

 でも、ヒトはその後、水から上がった。仲間がどこにいるのか、余所者は居はしないか、物陰に隠れてしまっては視覚では全く感知できない。じっとしていられると物音も聞こえない。
 でも、フェロモンはどれだけかは発せられている。それを感知する器官が働けば、近くに「誰か居る」という<気配>が感じられるのである。
 フェロモンとは、まことに便利この上ない感覚である。
 陸に上がったヒトに、この能力がどれだけ残っていたのか定かでないが、残念ながら悲観的見解に立つしかなさそうである。

 これより、嗅覚について少々詳しく説明しよう。
 タイプⅠの通常の臭気を感知する器官を嗅上皮といい、鼻の奥の方に大きなものが1つあるが、タイプⅡのフェロモン匂を感知する器官を鋤鼻器といい、鼻の両穴の入り口近くに小さなものが1つずつある。それぞれの情報伝達経路や処理する場所は、哺乳類にあっては、通常、次のとおり異なっている。

            センサー    交換機   情報処理部
タイプⅠ(通常の臭気)  嗅上皮 →→ 嗅 球  →→ 大脳皮質
タイプⅡ(フェロモン匂)  鋤鼻器 →→ 副嗅球  →→ 視床下部

 どちらも、揮発性の化学物質にセンサーが反応して興奮し、電気信号に変えられて伝えられていくのであるが、別系統になっているから、フェロモン匂は、通常の臭気のように臭いとして感ずるものではなく、無臭である。
 これは、電磁波が波長によって別系統で処理され、光として目で感知したり、熱として皮膚で感知するのと同類である。ただし、強烈な光を皮膚で感知して暖かいと感ずるのと同様に、あまりに濃厚なフェロモン匂の場合には、嗅上皮が反応して、臭いとして感ずることがある。その臭いは一般的に「変な、嫌な、小便臭い」といった、良くないイメージで表現される性質のものである。
 なお、自然界においては、こうしたことはマレであり、万一それに遭遇したとしても、ヒト以外の哺乳類は、強烈なフェロモン匂が発せられていることに驚いてしまって、臭いとして意識することはないであろう。

 嗅覚は、どちらも脳の所定の部署で情報処理されるのであるが、大脳皮質では経験などに基づいて、理性的、意識的に処理されるのに対し、視床下部は原始的な脳であり、食欲中枢や睡眠中枢もここにあり、反射的、情動的な無意識的行動を取らせる脳である。
 従って、ヒトがフェロモン匂を感知すると「なぜだか分からないが、ブスなあの子に引き寄せられる。なぜだか分からないが、仕事が間に合わぬ奴ではあるが、あいつとは馬が合う。」と感じたり、「皆が付き合いたがっている可愛い子だが、なぜだか好きになれない。あの人には協調性があることは分かるが、なぜだか一緒に仕事をしたくない。」といった感情を持ってしまうことにもなるのである。
 人間関係において、こうしたことを度々経験している方は、フェロモン匂の感知能力をあまり退化させていないと言って良いであろう。

 ヒトの場合、タイプⅠの諸器官と神経は鈍感ながらも正常に働いているのであるが、タイプⅡについては、胎児が成長するとともに諸器官と神経が発達するものの、出生後、視床下部以外は消失させていくのである。
 副嗅球はその存在が乳児にも確認されていないし、鋤鼻器から伸びる神経は乳児のうちに消失するし、鋤鼻器は成人の3人に1人は失っている。
 鋤鼻器が健在でも、副嗅球や神経が消失していては、フェロモン匂の信号が視床下部に全然伝わらなくなってしまうのであるが、各種の実験では、どうしたわけか、どれだけかは伝わるのである。
 それが、どのような経路で伝達されるているのかは残念ながらまだ何も分かっていない。

 哺乳類の中で鋤鼻器が発達しているマウスは、フェロモン匂を感知するセンサーを約300種類持っている。そのセンサーは、皆、たんぱく質であり、その設計図はDNAの上に遺伝子として存在しており、どの遺伝子がセンサーであるのか、同定が進められている。
 そこで、マウスが持っているセンサーの遺伝子と同じものがヒトのDNAの上に乗っかっておれば、ヒトにもフェロモン匂を感知するセンサーがあることになる。そして、それは見付かった。まだ、約半分しか調査されていないが、5個のセンサーが生きていることが分かったのである。ヒトはマウスに大きく劣るものの、フェロモン匂を感知する能力が備わっていると推定されるのである。
 しかし、このセンサーは、ヒトの鋤鼻器に存在するのではなく、通常の臭気を感知する嗅上皮に存在していたのである。
 これでは、センサーが働いたとしても、臭気として感知し、信号は大脳皮質へ送られて、通常の臭気と一緒に、理性的、意識的に判断され、フェロモン匂の本来の目的が達成されそうにない。でも、哺乳類の中には、こうした形でセンサーを働かせている種(例えば霊長類のうち新大陸以外の地域に住むサル=旧世界ザル類)がいて、情報伝達経路のどこかで、視床下部へのルートに乗り換えさせていると推測されるのである。

 こうなると、ヒトの場合、フェロモン匂は、鋤鼻器と嗅上皮の両方でどれだけか感知され、別々に何らかのルートに乗って視床下部に情報が伝わり、おぼろげながら情動的な無意識的感情を引き起こすと考えて良いことになるのである。
 ただし、ヒトのこの能力は土俵際の崖っ淵に押しやられており、フェロモン匂を感知する機会が少なければ、崖っ淵から押し出され、つまり、成人になって鋤鼻器を失って、片方の能力を完全に喪失してしまうであろう。反面、フェロモン匂を識別する訓練をすれば、その両方の能力がどれだけか高まることにもなる。

ヒトにまだ生き残っているフェロモン 
 ヒトがどの程度のフェロモン匂の感知能力があるか、幾つかの臨床実験が動物実験と並行して行なわれており、その中から注目されるものを紹介しよう。
 以前から「女子寮効果」(あるいは「寄宿舎効果」)という、女性の生理がうつる現象が知られている。複数の女性が毎日一緒に生活していると、生理の時期が同調してくるというものである。
 動物実験ではそのフェロモン物質が特定され、「女子寮効果」が立証された。ヒトにおいては、女性の脇の下に挟んだコットン、これが無臭であることを確認し、毎日、別の女性の鼻の下にこすり付けるという方法で2ヶ月間にわたり実験が行なわれて、「女子寮効果」が確認された。ただし、ヒトのこのフェロモン物質はまだ発見されていない。

 フェロモンというと「男と女を惹き寄せ合うもの」ということで注目されるのであるが、はたしてどうか。
 そうした実験も行なわれている。男性ホルモンを少し化学変化させたANDという物質、これはフェロモンと考えられるが、これを歯科医院に置いてある2つの椅子の片方に噴霧して反応を観察した報告がある。女性が概してANDが噴霧された椅子に腰掛けたのに対して、男性にはその選択性が認められなかったのである。つまり、女性は、ANDを好ましく感じるらしいということが分かったのである。
 ANDを使った、手の込んだ実験も行なわれた。被験者の鋤鼻器にのみANDが当たり、嗅上皮には当たらないような装置でもって、どのような心理効果が女性に生じたかを調査したものである。その結果、残念ながら「セックスしたくなった」という効果は一切認められなかったが、その代わりに「気分の落ち込み解消効果」が得られたのである。イライラ、恥ずかしさ、ナーバス、自己嫌悪などの否定的な感情が取り去られたのである。
 同時に生理学上の測定も行なわれ、呼吸回数の減少、心拍数の低下、アルファ波の増加などが多く観察され、「緊張をほぐし、心の落ち着きを作り出す」ことが判明した。
 もう1つの実験では、女性にANDを鼻先で嗅がせ、脳の内部のどこが反応するかが検査された。すると、視床下部の中の性行動を起こす部位が反応したのである。しかし、各種の心理実験から、女性がにわかに「もよおす」のではなく、ムードづくりに役立つだけであり、「なごみ」をもたらすに止まるようだ。
 今度は、女性ホルモンを少し化学変化させたESTという物質、これもフェロモンと考えられるが、これを男性の鼻先で嗅がせ、脳の内部のどこが反応するかが検査された。すると、視床下部の中の性行動を起こす部位が反応したのである。
 なお、男性被験者にANDを嗅がせても視床下部は無反応で、同様に、女性にESTを嗅がせても無反応である。つまり、異性が発するフェロモン匂に反応するものの、同性のそれには反応しないのである。
 ESTに反応することとなる男性に対する心理実験は、小生の調査不足で残念ながら知らないが、単に「なごみ」をもたらすだけに止まらず、にわかに「もよおす」ことになりはしないか、大いに気になるところであり、時折ネットで検索するも、まだヒットしていない。

 これまで、幾つかのフェロモンについて、ヒトが一様に反応するものについて紹介したが、これは特殊な一部のフェロモンであり、ヒトにはまだまだ多くのフェロモンが働いているようである。
 嗅上皮に5個のセンサーがあることを先に述べたが、鋤鼻器にも幾つかの生きたセンサーがありそうで、ANDやESTの例のように、それが視床下部を興奮させると思って良かろう。

 それでは、これらのセンサーがどんな働きをしているのであろうか。
 哺乳類の中には、尿をかけて縄張り宣言するものがけっこう多い。汗と同様に尿にも多量のフェロモンが含まれているのである。これは、自分のフェロモン匂を同一種の他の個体に知らしめているのであり、これを個体識別フェロモンと呼んで良い。そして、当然に1種類のフェロモンではなく、幾つもの種類のフェロモンの組み合わせで識別しているに違いない。
 思わぬ所からこの謎が解けた。ヒトの臓器移植が行なわれるようになって、主要組織適合性抗原の遺伝子群の存在がはっきりしてきた。
 この遺伝子群の一部とフェロモンの遺伝子群の一部が、ある一定のルールに基づいて鋤鼻器の感覚細胞に整然と発現しているのである。 
 主要組織適合性抗原は、本来は臓器移植の可否の判定のために存在するのではなく、体内に侵入した病原菌やウイルスの自己とは異質なたんぱく質を白血球が感知して、それらを分解処理して殺してしまうという免疫機能の担い手である。この主要組織適合性抗原は個体ごとにパターンが異なっており、何万通り、何十万通りにもなる。これと鋤鼻器のフェロモン匂を感知するセンサーが密接な関係があることが判明したのである。そして、体内から発せられるフェロモンは、白血球から放出されることも分かった。それが、尿や汗の中に混入されるのである。
 従って、自分が出したフェロモンは、鋤鼻器において自分のものと認識できるのである。つまり、フェロモン匂を嗅ぐことによって個体識別が可能となるのである。
 これによって、動物全般に、姿が見えなくても、匂いを嗅ぐだけで自群の仲間なのか余所者なのかを直ちに識別できるのである。

 まだヒトにこの能力が残っているであろうか。
 ちゃんと残っているのである。それは赤ちゃんである。
 フェロモンは、母乳にも含まれており、赤ちゃんは自分の母乳と他人の母乳との違いが見分けられるのである。
 動物実験では、母乳からフェロモン様物質を取り出して、その匂いで実験し、正確に見分けることが判明しており、ヒトの赤ちゃんの場合は母乳そのもので実験しているものの、フェロモン匂で判断していると類推されるのである。
 なぜならば、ヒトの赤ちゃんは生後2日間は羊水と胎盤の臭いで母親を見分けているが、3日目からは母乳の匂いで識別するようになるから、ほぼ間違いなかろう。
 また、母親が、この赤ちゃんは自分の子であるのか、他人の子であるのか、どのようにして識別しているかであるが、哺乳類は一般に赤ちゃんが発するフェロモン匂で識別しているようである。残念ながら、ヒトについての実験報告はまだなさそうだ。
 なお、ヒトはフェロモン匂の感知能力を大きく減退させてしまっているが、女性の方が男性よりもその能力が高いことが分かっている。これは自分が生んだ赤ちゃんとの接触機会が断然多いので、赤ちゃんのフェロモン匂を至近距離で嗅ぎ続けるからと思われる。

 さて、これよりフェロモンの最も重要な働きについて説明しよう。それは、異性間、同性間に生ずる相性の問題である。
 現代社会においては、人は性格なり容姿の他に学歴そして身分といったものまでが総合的に考慮されて、つまり意識を十分に働かせて好き嫌いを決めている。
 しかし、前に述べたような、どことなく、なぜだか分からないが気が合うという感情を持つこともある。また、両者が一目惚れで恋愛結婚したという話も多い。こうした無意識的な判断は、どうやらフェロモンが脳の視床下部を興奮させて、好き嫌いという感情を起こさせているらしいのである。
 こうした相性というものが、どの程度フェロモンによって決まるのかを、フェロモン匂を嗅ぎ分ける能力の高い動物、マウスなどを使って実験や観察が数多く実施されている。
 なお、フェロモン物質の特定は困難を極め、そのパターンは不明であるが、主要組織適合性抗原のパターンはDNA(遺伝子)解析で容易に判明する。先に述べたように、フェロモンと主要組織適合性抗原とは密接な相関関係にあることから、主要組織適合性抗原のパターンをフェロモンのパターンと見なせばよいのである。従って、これを個体ごとに事前に把握しておいて、群れの中でそれぞれの個体がどのような行動を取っているのか、その観察記録を取り、両者の間に何らかの規則性がないかを調べるのである。
 こうして得られた結果に、幾つもの規則性があることが明らかになった。

 先ずは、オス・メス間の相性であるが、幾つかの動物実験の結果、パターンが大きく違っている場合と余り違わない場合とでは、大きく違っている場合に相性が良いことが分かった。しかし、不思議なことに、多少似ていた方がより相性が良いことも分かったのである。
 このことについては、ヒトについてもどれだけかは言えそうで、ヒトもフェロモン匂の嗅ぎ沸け能力を発揮していると考えられる。
 これは閉鎖社会での結婚で明らかとなった。キリスト教の一派、フィテリットは同じ宗派の者の間で結婚する決まりになっており、約600年の歴史を持つ。彼らのうち、約400人が新大陸に移住し、うちS系集団はその家系図から母体(創始者)となった先祖はたったの68人である。よって、フェロモンのパターンは数少ないと思われる。これは、主要組織適合性抗原のパターンがそうなっているから、そのように推定されるのである。
 そこで、S系集団の結婚している男女の主要組織適合性抗原のパターンがどの程度異なっているかを調べたところ、近似したパターンのカップルが明らかに少ないことが判明したのである。なお、この社会は恋愛結婚である。従って、フェロモンのパターンが似ている者同士は惹かれ合うことが少ないと言えるのである。

 次に、フェロモン匂の嗅ぎ沸け能力は、ヒトの場合、繰り返し同じ匂いを嗅ぐことによって高まってくることが実験結果に出ている。
 これは、数日ないし1週間程度で発揮されるようである。
 従って、両性が幾度か接近して、相性が良いとなれば、早々に恋愛関係に進むことになるのである。
 なお、両性がフェロモン匂の嗅ぎ分け能力に長けていた場合には、ロミオとジュリエットの物語のような熱烈恋愛がたった1回の接近で瞬時に起こったりもする。

 一方、フェロモンは、相性が良くても、性的関係に進むことを阻害する力も持ち備えている。哺乳類においては、一般的に性的関係を持つのは、行きずりであったり、季節的接近であったりして、生涯にわたるのではないのに対し、生まれ育った集団の仲間は、安心できる存在として生涯にわたって良好な関係を保つ。
 こうしたことから、イスラエルのギルドの例のように、幼少から男女が共同生活をしていると、自然と毎日フェロモン匂を嗅ぎ合っているであろうから、無意識的にこの子もあの子も仲間という感情を持つ。
 そうすると、思春期になって恋をするようになっても、その集団にいる異性は、兄弟姉妹のような感覚になり、異性として惹かれ合うという感情が生ずることはなく、集団外に異性を求めるようになってしまい、集団間の結婚はわずかに止まっている。
 これは、先に紹介したフィテリット集団においても同様であり、また、台湾の一部で行なわれていた幼児婚の風習の中にも現れている。幼児婚により幼い頃から同居していると、大人になっても性交しようという気分になれず、離婚が多発するという現象が顕著になってしまうのであり、台湾の高度成長に伴って1970年代にこの風習は崩壊してしまった。

 さて、先に、フェロモンのパターンが多少似ていた方がより相性が良いという結果が出ていると言ったが、もう1つ不思議な現象として、女性の場合は、ホルモン分泌が変化することにより、好みのフェロモンパターンが逆転することが知られている。
 女性を被験者として、男性の着ていたティーシャツの嗅ぎ分け実験がなされた。汗臭さは全くない無臭のものである。
 たいていの女性の場合、好みのシャツとそうでないシャツが無意識的に嗅ぎ分けられるものの、同じ実験を別の日に避妊薬を飲んでから行なうと…これは妊娠と同様なホルモン分泌になった状態…好みが逆転するのである。

 以上のことから推察すると、ヒトに限らず哺乳類のメスは、フェロモンの作用によって、性的な接触は出自集団の仲間以外に求めようとするものの、どれだけか仲間的要素を備えている相手を選択しようとし、妊娠して子育てが始まると出自集団に帰属しようとする性向があるということになる。
 ここで、「どれだけか仲間的要素を備えている相手」の選択がなされるということは、出産後におけるオスによる子殺しを回避しようという、学習によるメスの防御反応であるのかもしれない。
 動物界においては、恥ずかしながらヒトを含めて特に哺乳類のオスは、性交欲求がために、子殺しという悪習を先天的に持っていると思われるからである。少なくとも、赤ちゃんへの授乳がストップすれば、直ぐにもメスは発情を再開することをオスは学習して知っているのである。

 フェロモンについての研究は歴史が浅く、その端緒に着いたばかりであり、以上に述べたことは推論が多いものの、人間社会に当てはまる現象が多いのも事実である。
 例えば、女性は結婚するに当たり父親似の男性を選ぶ傾向にあると言われたり、また、出産が近づくと里帰りを望むのであり、そして、妻は出産すると夫を放ったらかし、夫は赤ん坊を疎ましく思うのである。
 こうした現象は、フェロモンが脳の視床下部を刺激し、無意識のもとに各種の情動的行動を取らせていると考えてよいであろう。
 また、マレではあるが、家庭を捨てて男に走る、盛りの付いた雌猫のような女性の存在もある。これもフェロモンのイタズラであろう。
 これでは片手落ちで、女性から叱られるから、家庭を捨てて女に走る男の存在についても触れておかねばならないが、ヒトのオスには絶対的に性煩悩はあれど子煩悩が本来はないからであって、女性は性煩悩を本来は持っていないが絶対的に子煩悩があるのとは正反対であるからである。このことについては、別途、自論を展開したいと思っている。
 
フェロモン力を退化させていく文明社会
 現代人は、多分、原始的な生活を今でもしている狩猟採集民を含めて、折角手にしているこの能力を退化させようとしている。
 その原因の第1は、乱交的性社会形態から、一雄一雌の婚姻社会への文化的大変革である。つまり、父親の特定を避けようとする社会から、子が誕生したらその父親を特定させる社会への移行である。
 セックスによって妊娠することを人類が知ったのが3万年前で、ヒト社会は、その後しばらく従前の社会形態を維持するものの、古代文明の始まりとともに一雄一雌の婚姻社会へ順次移行していったと小生は捉えている。これについても、機会を捉え、自論を展開したいと思っている。
 この社会形態の変化によって、男女のフリーな濃厚な接触ができなくなり、フェロモン匂を間近で嗅ぐ機会が極端に減ってしまい、その嗅ぎ分け能力は鈍化せざるを得なかったと思われるのである。

 第2の原因は、文明が進むことによって数多くの人々と接触するようになり、不快な体臭(臭い)を消すために、入浴なりシャワーを浴びる文化を持つようになったことである。
 これによって、ただでさえ少ししか発することができないフェロモンは、水であらかた洗い流されてしまい、フェロモン匂を嗅ぐ訓練がほとんどできなくなってしまったのである。
 男と女を強く惹き付け合うフェロモンであるからして、入浴は御法度であらねばならないであろう。と言うのは、昔の人はこれをよく知っていたと思われるからである。
 例えば、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトは、戦場から妻に宛てた手紙で「これから帰るから、風呂に入らないでいるように」と綴っている。
 また、日本においても、平安時代は入浴習慣がなかった。それを踏まえて「源氏物語」を読むと、その第3部「匂宮」の中に「匂う兵部卿 薫中将」の記述が登場するのであるが、兵部卿が発するにおいは「香を調合した臭い」であったのに対し、薫君が発していたのは「体から発していた強いフェロモン匂」であったと考えるしかなく、これによって物語の展開がよく理解できるという。

 こうして、現代人は、フェロモンを嗅ぐ機会を失い、自らすすんでフェロモンを流し去り、嗅覚障害者への道をとことん突き進んでいる。
 しかし、現代人にあっても、夜行性原猿類(彼らとてフェロモンを十分に働かせているが)のように他の個体とは全く没交渉な単独生活をすることができず、まだまだ社会的動物として仲間同士で支え合って生きていかねばならない。
 仕事仲間にしてもそうであり、皆、友好な人間関係を構築していきたいと望む。実は、これを助けてくれるフェロモンがありそうなのである。PDDというフェロモン候補物質がそうであり、まだ科学的に証明されてはいないが、これを嗅ぐと皆が仲むつまじくなるという。そして、これはヒトの皮膚から発散されているようなのである。
 次に、夫婦関係であるが、「単に傍にいてくれるだけでいい」と感じないだろうか。この傾向は、フェロモン匂の感知力が相対的に高い女性に顕著なようであるが、男にも感ずることができるはずである。長く共同生活をし、互いに絶えずフェロモン匂を感知し続けていれば、そのフェロモンによって仲間意識が無意識的に醸成されて、知らないうちに良き伴侶と思うようになってしまうのではないかと思われるのである。
 もう1つ言えるのは、どこかへ長く出かけた後に我が家へ戻ったとき、「ほっと安堵できる、やっぱり家はいいもんだ」と感じないだろうか。これは、家族という最も安心できる仲間だけが発するフェロモンがいっぱい漂う空間に入り込んだことによる安寧感からではなかろうか。
 これとは逆に、思春期の娘は父親のにおいを嫌うという。これはフェロモンのいたずらである。娘は恋の季節に入ったのであり、男性の発する性フェロモンに引き寄せられるが、同時に、そのパターンがあまりにも似ている父親が発する個体識別フェロモンを避けたくなるのは当然のことで、父親は嫌われることになってしまうのである。でも、これは一時のことであって、娘が結婚して妊娠すれば、父親を頼って来てくれるのは先に述べたとおりであり、娘に嫌われるようになっても何も落ち込む必要はなく、ああ娘も立派に成長してきたなと素直に喜べばよいのである。

 小生は、フェロモンというものはどんなものであるのかを知って、以上のような気分で人に接し、妻と暮らし、娘を思っているのであるが、そうした生活をしていると、やはりヒトにもフェロモン嗅覚は存在するように思えてきて、これを大事にし、フェロモン匂生活を通して、より豊かな人生が送れるのではないかとさえ考えるようになってきたところである。
 そのためには、先人に習って風呂に入らないのが良いであろうが、薬屋という客相手の商売をしていると、汗臭さや加齢臭を消すために毎日風呂に入らざるを得ない。ただし、無駄な抵抗かもしれないが、ワキガ臭はしないようであるから、脇の下は洗わないないようにしている。なんせフェロモンが脇の下のアポクリン腺から分泌されているのだから。

 ここまで長々とフェロモンについて物語ってきましたが、読者の皆様方には最後まで辛抱強くお付き合いいただきまして深く感謝申し上げる次第です。
 ヒト・フェロモンの研究については、まだその端緒に付いたたばかりであり、どれほどのものであるのか見当が付かないようであるが、先に紹介した<なぜあの上司は虫が好かないかーヒトを操るフェロモンの力ー>の著者、市川眞澄氏は、その巻末で次のように感想を述べておられるので、それをここで記し、本論を閉じることにする。

…奥深く素晴らしきフェロモンの世界の一端をご理解いただけたであろうか。…東洋には見えないもの、聞こえないものを感じ取ろうとする文化があるが、西洋には見えるもの、聞こえるものがすべてであり、それ以外のものを感じ取ろうとする文化があまりなかった。明治以降、日本は西洋の合理主義を学び、見えないもの、聞こえないものの存在を、ある意味では否定してきた。ここでいう「見えないもの、聞こえないもの」はスピリチュアルではない。化学的・科学的でありながら、かつ見えない何かを感じることがあってもいいのだと私は思う。私はそういう感覚を大事にしたいと思うのである。…においやフェロモンの世界は、ケミカル・コミュニケーションの世界である。…(やがて)ヒト・フェロモンの謎も解明され、より豊かな人間生活に活用されることになるだろう。


(注)本稿には青少年育成上ふさわしくない表現が含まれますので、アダルトサイトでの投稿としました。


 
 
 
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