FC2ブログ
RSS

第3幕 陸への進出

人類の誕生と犬歯の退化

第3幕 陸への進出

1 出アフリカ
 時代は進み、恒常的な乾燥化が進むことによって湖が極度に塩水湖化したり、また、大地溝帯の地殻変動によって湖沼が干上がったりして、水生環境の喪失が所々で起きたことでしょう。
 そうなると、ヒトは水生生活に別れを告げて完全な陸生生活を始めるしかありません。急にそうなったら激変環境に付いていけず、絶滅してしまいますが、その前に半陸生活に馴染んでいたことでしょう。
 原人に進化してほどなく、約180万年前に大地溝帯で大きな地殻変動が起きたと思われます。大地溝帯の北部の水生環境が急激に狭まり、水生生活に別れを告げざるを得なくなった原人達が数多く発生したのです。
 その原人たちは、北東へ進路を取り、アジア大陸に新天地を求めて、幾世代もかけて旅をしたことでしょう。第1回出アフリカです。
 当時、アラビア半島の南縁はアフリカ大陸と地続きになっていたようですし、今ほど乾燥化していませんでしたから、易々とアジア大陸へ進出できたのです。約180万年前の中央アジアとインドネシアのジャワ島(ここも陸続きでした)の原人化石や石器がそれを物語っています。また、北京の近隣で、ほぼ同時代の石器が発掘されていますから、中国にも原人が到着していたのは確かです。(注:いわゆる北京原人はずっと後の時代です。)
 あっという間にアジアの端までたどり着いたわけですが、より良い環境を求めて1世代で100キロメートル先へ移住すれば、2千年後には概ね1万キロメートル移動したことになりますから、格別驚くに値しません。
 しかし、出アフリカした原人たちは、アラビア半島やその先へ進んでも、波静かな湖沼に湿地帯があるという、自分たちが望む水生環境を見い出すことができず、専ら陸生生活を余儀なくされたことでしょう。
 そして、質の高い水生生活を学習する機会が得られない状態が幾世代にもわたって続けば、ほぼ完全な陸生生活が普通の生活習慣として定着し切ってしまい、その後において、水生環境が発達したインド東部に到着しても、泳ぎを忘れたヒトは水生生活に戻れなかったのです。
 こうした陸生生活の選択は、大地溝帯の乾燥化と地殻変動により、その後も続きました。約100万年前~数十万年前のハイデルベルゲンシス原人や旧人ネアンデルタール人がそうです。彼らは、第1回出アフリカした原人よりも、水生生活を十分に長く続けていたことでしょうから、現生人類に酷似した体型へと進化しています。その彼らも出アフリカし、アジアとヨーロッパそしてアフリカ大陸全域へと移住したのです。
 最後まで水生生活を続けられたのが、ホモサピエンス(現生人類)ですが、彼らもとうとう大地溝帯に別れを告げざるを得なくなります。それはわずか十数万年前の出来事です。そして、アフリカ各地はもとより、数万年前にはアジア、ヨーロッパへと次々に移住し、さらには、インドネシアの島々の多くは大陸と陸続きでしたから、少々の航海をしてオーストラリア大陸まで広がっていったのです。なお、アメリカ大陸への進出は遅れましたが、1万数千年前にベーリング海峡を渡って実現させました。
 
2 ヒトは芋を主食に
 現生人類は大地溝帯で十数万年前まで完全な水生生活をしていたかとなると、そうではなさそうです。水生環境の悪化は約3百万年前あたりから徐々に進行し始めたようで、数十万年前からは食の多くを陸で確保せざるを得なくなったと思われます。そこで、ヒトは代替食糧として、陸で様々な芋を探し歩くようになり、ついにはこれを主食にしたのです。
 なぜならば、唾液に高性能の澱粉消化酵素を持っているのはヒトだけでして、100万年単位の長期にわたって盛んに芋を食べ続け、かつ、十分に咀嚼しないことには、この能力を獲得することはできないでしょう。また、ヒトと同様に小腸で澱粉消化酵素をたっぷりと分泌できるのはブタとイノシシで、彼らも芋を好んで食べますから、ヒトの主食は随分と前から芋であったといえます。加えて、世界各地の狩猟採集民は、芋が採れれば、必ずこれを主食としていることからも明らかなことです。
 そして、芋の発見は頑丈型猿人が最初であったでしょう。彼らの臼歯には泥による擦り減りが顕著に認められるからです。その後の出アフリカ組にあっても、芋を求めての大移動であったと思われます。
 なお、通説では、華奢型猿人や原人の臼歯には擦り減りが認められないことから、彼らは肉食中心であって芋を食べなかったとされていますが、これはとんでもない誤りです。我々も泥が付いたものを食べたときには、ジャリッとして気分を悪くします。そんなことが度重なれば、そのうちに面倒でも芋を洗って食べるようになるでしょう。
 宮崎県の幸島に住む餌付けされたニホンザルでさえ、サツマイモを海水で洗って食べる文化を持っているくらいです。また、未確認情報ですが、岐阜県の長良川の中流域に住んでいる野生のニホンザルは、畑から掘り起こしたサツマイモを川で洗って食べているとのことで、この「芋洗い文化」は広く存在すると考えて良いでしょう。
 欧米人は肉食中心の食生活を長く続けてきていますので、彼の地の学者は皆、自分たちの食の常識に縛られ、猿人や原人の時代にも盛んに狩猟を行っていたに違いないという思い込みがあり、「ヒトの主食は芋である」などという東洋人的見解には従おうとしないのです。
 考えてみてください。もし、猿人や原人が肉食中心の食生活を望んでいたのであれば、大地溝帯の東側にはサバンナが大きく広がり、草食動物がそれこそウジャウジャいましたから、それを捕って食べれば良いのでして、何も好き好んで出アフリカする必要はどこにもないです。また、その当時に人口爆発があったわけでもなく、捕獲のし過ぎで草食動物が激減し、出アフリカしたということも否定されます。加えて、出アフリカした原人が進出して行った先は全てが森林地帯で、そこには各種の芋はあれど、草食動物はサバンナに比べて桁違いに希薄にしか生息していないのですから、こうした面からも肉食は否定してかからねばならないのです。
 なお、人類が肉食を始めたのは、高々数十万年前からと思われるのですが、それは火の利用という一大発明を契機としたもので、それも決して主食としてではなかったと、私は思っています。人類はそれまでの間は、動物を殺して食べるなどという空恐ろしいことは一切考えもしない、草食動物のような、いや、それ以上におとなしい動物として長く暮らしてきたのです。犬歯の退化がそうさせたのです。私はそう信じて疑いません。
 少々蛇足となりますが、魚介類についても触れておきましょう。「人類水生進化説」をまとめられたモーガン女史は、アファール三角地帯で海に親しんだことによって、ヒトは魚介類を盛んに食べるようになったと言っておられますが、決してそのようなことはなかったと、私は考えます。
 なぜならば、出アフリカした原人はアラビア半島の南縁を歩いて行ったに違いなく、その右手にはインド洋が広がっていて、取ろうと思えば砂浜では二枚貝が、岩場では巻貝や魚が取れます。もし、アファール三角地帯で魚介類を食べていたのなら、大地溝帯に移っても同じ食性となり、出アフリカした原人はアラビア半島の海縁に踏み止まり、魚介類を主食とするでしょう。そうなれば、泳ぎが得意な彼らは潜水が日常茶飯事となり、ヒトは“人魚”に進化していくはずで、何も好き好んで海から遠く離れた大陸の奥地へと進出していく必要はどこにもないです。

3 円錐形の小屋を住まい屋に
 さて、大地溝帯において、ほぼ完全な陸生生活を余儀なくされるようになったとき、ヒトはどんな生活をしていたでしょうか。
 芋が採集できることと飲み水が得られることを条件にして、生活拠点を決めたことでしょう。しかし、そこはサバンナで猛獣がいる危険地帯です。もはやチンパンジーのように木に登って危険を回避したり、木の上にねぐらを作る身軽さはありません。
 通説では、洞窟の所々で人骨化石が発見されていますから、そこを住まいにしていたと考えられていますが、まだ火の使用を知らなかった時代で、夜行性の猛獣に襲われる危険性があまりにも大きく、これは間違いです。
 そうした人骨化石は、猛獣が獲物として運んできた人肉の食べ残しと考えるしかないでしょう。近年、この見解を取る学者が多くなっています。
 さて、サバンナにおいて猛獣からの危険を回避するには、木製の檻を作って夜間はその中に入っているしかないでしょう。そこで、浮き島の作り方を応用し、円錐形の小屋を作ったと思われます。
 礫石器で長めの木の枝を何本か伐採し、小枝を打ち払ってそれらをもたれ合わせた後、円錐の天辺を蔦でぐるぐる巻きにして適当に絡めてやれば完璧に固定されます。これぐらいの知恵は湧いたでしょう。
 あとは、夜、猛獣に襲われたときの対策を立てれば良いです。それは槍であったでしょう。小屋作りのときに、短すぎて使えなかった枝の中で、折り取った部分が尖っていれば、それが槍として使えます。それを使いやすい長さに叩き切って樹皮をむけば槍が完成します。これを小屋の中に置けば良いですし、さらに、その槍を小屋から外に向けて地面に突き刺しておけば防御効果が上がろうというものです。
 原人の時代には親指対向性が完成していましたから、親指の使い方が器用になっていて、槍を作るのも簡単であったでしょうし、槍をしっかり握ることもできたのですから、身を守るための武器としての槍の発明は決して驚くに値しません。チンパンジーのアリ釣り道具である爪楊枝を単に巨大にしたものに過ぎないのですから。
 なお、槍としては短すぎるものは、今日の狩猟採集民と同様に芋掘り用の農具として活用したことでしょう。

4 こじんまりとした群の形成
 さて、問題は小屋の大きさです。この時代やその後の時代における遺跡の数は少なく、はっきりしたことは分かっていませんが、十数人から20人程度で1つの集団を形成していたものと推測されます。
 これだけの人数を1つの小屋に収容できる大きなものを作るのは難儀なことで、きっと小さな小屋を複数作ったことでしょう。
 この時代には、まだ家族制度は生まれていません。従って、今までの群内の集まり具合に合わせ、小屋は次の3つとなったことでしょう。
  第1小屋 大人オス4
  第2小屋 高齢オス1、若オス2、子供オス2 計5
  第3小屋 大人メス4、若メス2、子供メス2 計8(+乳児3)
 20人がこのように分かれる、その理由を説明しましょう。
 まず、大人オスで1つの小屋とするのは、大人オスの身勝手によるものです。大人オス同士は紐帯がしっかりしていて行動を共にする仲であったに違いなく、そして夜中に耳元で赤ん坊が泣いては熟睡できないではないか、というものです。加えて、双系社会ですから、メスは血縁者ばかりで、異性としての魅力を感じないからです。
 2つ目の小屋は、その他のオスですが、若オスが大人オスと切り離されるのは、なにがしかの群への貢献が認められるまでは、大人扱い、特に通い婚の仲間に加えなかったからで、その理由はのちほど述べます。
 なお、彼らの教育係として、体力的に通い婚に出かけるのがおっくうになってきた高齢オスが、その任に当たったことでしょう。そして、若オスは、一日も早く大人の仲間入りをせんとして様々な試練に耐え、皆が名実ともに立派な大人になり、ケツが青いままの横着な大人が存在することはなかったことでしょう。多くの民族において、過去に同様な形態の若者小屋を置く文化を持っていて、今日でもその風習を色濃く残しています。
 また、子供オスは、若オスから教育を受け、そして遊び相手になってもらえますから、必然的に同じグループに入ったことでしょう。
 3つ目の小屋がメスのグループです。若メスと子供メスの主な遊びは乳児の子守ですし、また、この遊びを通して子育てを学びますから、彼女たちは必然的に乳児を抱える大人メスと一緒になったことでしょう。
 類人猿の遊びはオス・メスによって大きく異なり、分かれて遊ぶ傾向が強いですし、狩猟採集民においても同様な傾向にありますから、自然にこうしたまとまりができたと思われます。
 なお、高齢メスはこの時代に存在しません。チンパンジーと同様に、メスは出産を定期的に繰り返し、高齢出産で命を落としていたからです。
 こうして、3つにグループ化された小屋が形成されたと思われ、その中で第3小屋が最も大きなものとなりますが、これをメスたちだけで作ったでしょうか。大きな木の枝を伐採するにも、浮き島時代と同じ礫石器しかなく、かなりの労力を要したでしょうから、主力となったのは若オスと思われます。彼らは、群全体への奉仕を行うことによって、大人オスへの仲間入りが認められたでしょうから、積極的に協力したことでしょう。
 そして、小屋の配置は、第3小屋の両側をオスが守る形にし、また、猛獣の徘徊が度々のように起きれば不寝番を置き、その担当は若オスで輪番制を敷いたことでしょう。チンパンジーだって縄張りの周辺警戒は若オスの任務であり、群全体に奉仕する仕事をそつなくこなさないことには、大人オスの仲間入りが認められないからです。
 こうした小集団で日常生活を共にすることになったでしょう。
 1日の食事は朝食がメインで、夜が明ければ起き出し、皆がそろって芋や野草の採取に出かけたことでしょう。2~3時間も食べ歩けば…今日の狩猟採集民の採集時間はその程度ですから…、腹が膨れて小屋に帰って来られます。また、美味しい果物が生る時期には、遠出してでも果物狩りを楽しんだことでしょう。
 いずれにしても、お昼前には小屋に帰って来られます。それから夕暮れ前の軽い夕食までたっぷり休憩できます。なお、陸の生活に慣れてくれば、猛獣の行動様式を熟知し、昼間は猛獣が昼寝をしていることを知っていますから、サバンナであっても十分に安全が確保されます。
 子供たちは遊び呆けて昼寝に入り、オスや独り身のメスは暇を持て余し、子が乳離れした子持ちのメスも十分に暇であったことでしょう。

5 セックス革命
 食足りて暇があれば、オスたちが他所の群にいるメスたちに会いたくなるのは必然で、水生生活時代に通い婚が定着していましたから、皆で誘い合って近隣の群まで出かけたことでしょう。日本でつい最近まで行われていました“夜這い”ならぬ“昼這い”です。
 ところで、当時の人口密度は、いかほどであったでしょうか。諸説ありますが、一般的に1平方キロメートル当たり0.1~0.5人と考えられています。20人で200~40平方キロメートルを採集して回る勘定になり、隣の群までは直線距離にして概ね14~6キロメートルになります。
 食糧資源が豊かな地域であれば群間の距離が短く、日帰りが可能ですが、そうでないと往復数時間にもなり、2泊3日を必要とし、加えて、頻繁に移住を繰り返したでしょうから、探し当てるのは大変なことになります。
 従って、人口密度が低い地域では通い婚が不可能となり、婿入り婚が誕生したことでしょう。オスは、大人になると出自群から出て他の群に婿入りするのです。なお、オスの全員が同一群に婿入りしたことでしょう。
 こうして、人口密度が低い地域では、霊長類にごく普通に見られる母系複雄複雌群に変換したでしょうが、しかし、ヒト社会は霊長類のそれとは大きく異なった形態を取ったに違いありません。
 霊長類の母系群ではオスは出て行きっ放しです。でも、ヒトのオスは出自群への帰属意識が高かったでしょうから、定期的に里帰りしたと思われるのです。例えば1か月に1回、満月の日に集合と決めておけば良いです。そして、これを何度か繰り返すなかで、別の群の存在を知れば、いずれその群に婿入り、つまり群れ渡りしたのではないでしょうか。
 なお、婿入り婚の里帰りは母系氏族社会の特徴で、日本では平安から室町時代にかけての支配階層に一般的に見られましたし、今日でも盆・正月や祭での帰省が習慣として根強く残っています。

 さて、通い婚なり婿入りしたオスは、昼の休憩時間に独り身のメスあるいは子が乳離れしたメスを誘い出し、小屋から少し離れたサバンナの木陰を目指したことでしょう。
 ここで、「オスたち」ではなく「オス」と単数表記しましたが、これは、湖面においてはオスたちが複数対1でメスと寄り添うことができたのですが、陸に揚がってからは、これから述べますように挨拶行為が複雑化し、1対1のセックスしか行えなくなったからです。
 直射日光を遮ってくれる木陰で、オスがメスに一連の挨拶行為を済ませて、最後にペニスを挿入する段になって困った事態が発生しました。
 当時は素っ裸の生活であったことは間違いなく、メスが朝から動き回ったり座り込んだりして芋掘りなどをしていますから、膣口辺りに草の種や泥などが付いています。それを知らずに、オスがペニスを膣に挿入してピストン運動をすれば、メスは「痛っ! 何すんのよ。」と、声…この時代にはどれだけかの言語能力を身に付けていたと思われます…を発し、ビンタでも張られて、お終いとなってしまいます。
 そこで、オスは、こうした苦い経験から学習し、ペニスを挿入する前に膣口辺りを確認します。案の定、泥や草の種がいっぱい付いています。
 この泥や草の種については、アファール三角地帯におけるヒトの祖先のオスたちは、それを取り除けば良いことまでは気が回らず、性交をあきらめざるを得なかったことを第1幕で述べました。そんなことぐらい気が付いていいはずと、お思いの方が多いでしょうが、今日の日本人は“潔癖症”と言えるほどに清潔感を持っていますから、そう思うだけで、彼らはそうしたことにはいたって無頓着であったと考えるべきでしょう。その後、どれだけかの清潔感を持つようになったのが、陸生生活を始めたことによって身に付けた「芋洗い文化」でしょう。泥付きの芋を噛んでジャリッとして気分を悪くし、そのために面倒でも芋を水で洗うようになり、それが習慣となった清潔文化です。
 この文化が定着したことによって、メスの痛みの原因が泥などの汚れであろうと察することができたと考えて良いのではないでしょうか。
 そこで、オスは、メスの膣口辺りについている泥などを、自分の唾液と舌でもって舐め取ってやれば良いと気付き、それを実行に移します。
 オスは、このときクリトリスも舐めてしまったのです。すると、メスたちの中に鋭い反応を示す者がいたに違いありません。
 こうして、ヒトの祖先は、ついに、メスの最大の性感帯の一つがクリトリスであることを知ったのです。そして、オスがこの愛撫を繰り返し行うことによって、オルガスムが味わえるメスが出現したことでしょう。
 ここに、ヒトは、少々の時間差があるものの、オス・メスともにオルガスムを堪能できるセックスの方法を開発し、セックス革命を成し遂げたのです。現代人の一つのセックスパターンが、ここに完成を見ます。
 ただし、クリトリスはペニスの痕跡器官ですから、その大きさはメスによってまちまちですし、クリトリスの先端の感覚細胞がペニスの亀頭のように鋭敏に働いているかというと、これも個人差がありそうです。
 よって、セックス革命が行われたとは言え、残念ながらメスの皆がクリトリス・オルガスムの快悦を味わうには至らなかったことでしょう。
 ところで、オスがメスのクリトリスを愛撫する種は唯一ヒトだけで、ボノボのオスに言わせれば、クリトリスへの愛撫というものは、メス同士で“ホカホカ”(メス同士の挨拶行為で、抱き合ってクリトリスを擦り合わせる動作)をしてメス間で楽しみ合うものに過ぎず、異性間で楽しむのは、やはりオスがペニスを膣へ挿入し、Gスポットを攻め立てて膣の筋肉の収縮を引き起こさせ、両性が同時にオルガスムの快悦を味わうのみであって、ヒトは何とちぐはぐな楽しみ方をしているのだろう、と馬鹿にするでしょう。
 ついでながら、ヒトのオスは、セックスの前戯として乳首への愛撫をしたがりますが、ヒト以外の哺乳動物のオスは一切これを行いません。乳首は、あくまで乳児の独占的占有物であって、これを大の大人が舐めるとは何事ぞ、と彼らはヒトのオスを軽蔑していることでしょう。
 このように、ヒトのオス・メスのセックスの方法は、他の哺乳動物から見れば、変態以外の何物でもないのですが、性交機能障害者となってしまったヒトですから、こうでもしなければ楽しみようがないのです。
 オスがたっぷりと時間をかけて様々な前戯を駆使するなかで、一時的にメスを擬似発情させている、と言って良いかもしれません。

 このセックス革命は、けだし過渡的な状態にあります。
 クリトリスへの愛撫はあくまでも前戯であって、望まれるのはやはりペニスによるGスポットへの的確な刺激により、メスがワギナ・オルガスムを味わえると同時に、そのときに生ずる膣の収縮によってペニスが締め付けられ、オスも本来のオルガスムの快悦を楽しめるのですが、現代に至っても、残念ながら私も含めて大方の者がその域に達していません。
 どの哺乳動物も、こうした同時性を持った本来のオルガスムを、オス・メスともに堪能しているのでして、“万物の霊長たるものは人である”と自認するのであれば、セックスにおいても“霊長たるべし”で、完成されたものへと進化させねばなりません。
 ヒトのオスのペニスは、何ともならぬ欠陥商品であり、神が存在するのであれば、それをクジラやゾウ並みの“電動こけし”(ペニスの筋肉で先端部を自在に動かせる)に換えてくれるよう、交換を求めるのですが、それはとうてい叶うものではなく、また、オスどもの努力の足りなさもあって、もうこれ以上どうすることもできないことを「人類水生進化説第5章」で述べました。
 ここは、メスいや女性にもう一頑張りしていただくしかないです。方法はあります。それは尿道括約筋の活用です。
 これについては、このブログの「女性はセックスのときに動物本来のオルガスムを味わっているか」で紹介しましたが、ここでも概説します。
 1940年に米国の医師、ケーゲル氏が偶然に発見されたのですが、女性の尿失禁を治療するには体操が効果的でして、膣の直ぐ外側を取り囲んでいる尿道括約筋を鍛えれば良いようです。
 すると、とんでもないおまけが付いてきたのです。性交時に快感が高まるのです。そして膣が絞まるようになるのです。ただし、この場合において、反応する感覚細胞は尿道括約筋の中にある特殊な末梢神経のようで、Gスポットの感覚細胞は直接的に反応するものではないようです。
 でも、膣がどれだけかでも絞まるようになれば、性交による摩擦刺激によってGスポットの感覚細胞が目覚めやすくなり、膣収縮機能を復活させ得るかもしれません。あるいは、Gスポットの感覚細胞に代わって尿道括約筋の末梢神経が代替機能を獲得し、その神経細胞が励起することによって膣収縮を引き起こすことになるかもしれないのです。
 いずれにしましても、女性は、性交時の快感経験を積み重ねることによって、どちらかの感覚・神経細胞が鋭敏に反応するようになり、女性は、メスとしての本来のオルガスムが得られるようになることは間違いないでしょう。そして、そのときに膣が強く絞まり、男にも本来のオルガスムを味合わせ、得も言われぬ快悦を与えることができようというものです。
 ケーゲル氏がおすすめの体操はどんな体操なのか、読者の皆様…尿失禁でお悩みの女性の方々…は興味がお有りでしょうから、詳細はネットで検索していただくとして、要点をご紹介しておきましょう。

[準備] まず、尿を途中で止めるには、どこに力を入れたら良いのかを繰り返し行って、尿道括約筋を自分で探し出す。
[体操] 尿道括約筋を3秒間、力を入れて絞める。3秒間、緩める。これを10回繰り返す。1日3回、この体操を行う。

 ところで、セックス革命が行われた後において、メスたちがこの尿道括約筋の活用を発見したかどうかです。発見していたとすれば、ボノボと同様にフリーセックス文化が花開き、両性ともに哺乳動物本来の同時性を持ったオルガスムを堪能できるようになったでしょうが、先ほど述べましたように、今日に至っても、ワギナ・オルガスムを味わっておられる女性となると、その数は少なく、これは否定的に捉えざるを得ません。
 そして、ワギナ・オルガスムは、出産を経験なさった女性でないと経験できないようです。これは、胎児が産道を通り抜けるときにGスポットを強烈に圧迫することによって、そのときに初めて感覚細胞を目覚めさせたからと思われます。でも、何回か出産された女性であっても、Gスポットの感覚細胞が十分に目覚めていない方が多いようですし、また、機能停止してしまっている方もあるようです。
 当時のヒトの祖先のメスたちも同様であったことでしょう。
 従って、性交によってどれだけかの新たな快感を感ずることができたメスは少なからずいたでしょうが、ワギナ・オルガスムの快悦を味わえた可能性は小さかったに違いありません。

6 セックス革命がもたらしたもの
 オス・メス間でフルコースの挨拶が本格化すると、挨拶は随分と複雑になって、それに要する時間も格段に長くなったことでしょう。
 今までのキスと抱擁に加えて、少なくともクリトリスへの愛撫と本格的な性交が加わり、今日のセックスと変わらぬものになったからです。
 ここに、オス・メス間の挨拶行為は、従前の複数対1の寄り添い行為から、1対1のセックスに劇的に変わったことでしょう。
 そして、一連の行為は立位から始まって途中から伏位へと移行し、たっぷりと体を密着させることになりますから、一度フルコースの挨拶、つまりセックスを行えば、過剰とも言えるほどの濃密な接触によって、メスにとってはオスとの親密な信頼関係が十分過ぎるほどに確認できてしまい、メスは頻繁にはセックスに応じなくなったことでしょう。
 一方のオスは、オスに特有の射精に伴うオルガスムを味わいたいという生理的欲求がありますから、メスとの親密な信頼関係の樹立は二の次にして、盛んにセックスを求めたことでしょう。 
 しかし、オスが熱心に誘いかけをしたところで、簡単にはメスが応じてくれなくなりましたから、運良くメスが応じてくれたときには、この機会に何とかして射精しようとして必然的にピストン運動の回数が多くなってしまい、性交の時間が長くなります。
 でも、メスたちは、どれだけかの快感があったでしょうが、長い時間の性交にうんざりすることが多くなり、メスがセックスに応ずる度合いはますます減ってしまったことでしょう。それに対して、性交時間が長くなったことによって、オスはセックスの度にたいてい射精できるようになったでしょうから、より頻繁にセックスを求めたことでしょう。
 こうなると、性の需給バランスが一気に崩れてしまって、オスたちは、セックスの求めに応じてくれそうな数少ないメスのもとに殺到したに違いありません。とうとうチンパンジー並みに、メスを巡ってのオス同士の諍いが危惧される事態が生じてしまったのです。犬歯復活の恐れです。
 例えば、ひ弱そうなオスからのひたむきな誘いかけを受け、メスがそのオスと親密な関係を樹立しようとしてセックスを始めたところへ、群一番の凄腕のオスがそのオスをはねのけて割り込むかもしれません。性を享受せんがためのオスの暴力の発生です。
 このような事態に直面して、メスはどう行動したでしょうか。メスにとっては、新たなオスと懇意な仲になることを求めていたのですから、邪魔をしてきたオスを当然にして嫌い、そんなオスとは決してセックスする気になれるわけがなく、そのオスとの接触を拒否するでしょう。
 なぜならば、チンパンジーの発情メスのような見境なく性交したいという生理的衝動は決して起きようがないからです。
 こうして、たとえ群一番の凄腕のオスであっても、他のオスがお気に入りのメスと性交しているのを黙って見つめるしかなくなります。
 ヒトにおいては、メスが発情を喪失したままであったことが幸いして、オスに暴力が復活することは決してなかったのです。

 しかし、セックス革命によって、オス・メス間の挨拶行為が大きく変わりましたので、必然的に群社会の有り様が変化してしまいます。
 性の需給バランスが崩れ、オスの相手をしてくれるメスが大幅に不足してしまったでしょうから、大人オスたちは、ライバルとなる若オスを排除し、通い婚に出かける者を限定したに違いないです。
 チンパンジーやボノボと同様に、若オスが大人の仲間入りできる年齢をぐんとアップさせたのです。そして、そのため、先に述べましたように、若オスに試練を与え、教育し、若者小屋も作ったと考えられるのです。
 こうした差別も広い意味では暴力の範疇に入るかもしれませんが、子供に対する躾の域を出るものではなく、若オスはまだまだ子供という扱いがされただけのことですから、牙をむくには至らず、これは暴力とは異質のものと考えて良いです。
 でも、若オスの排除だけでは、どれだけも性需要を減らすことはできません。何とかして供給を増やすしかないです。
 そこで、オスたちは誘いのテクニックを大きく発達させたことでしょう。この時代には、どれだけかの言語能力を身に着けていたでしょうから、言葉をフル活用したに違いありません。今日事情と変わりのない誘いのテクニックを身に着けたのではないでしょうか。
 そして、誘いに応じてくれたメスとセックスするに当たっては、これまた今日事情と変わりなく、耳元で甘くささやき、メスを夢の精神世界へと導き、それがうまくいったらメスが性交を許してくれたでしょうから、近くで子供が喧しく遊び回ったり、大衆に注視されているような場では、これを成就するのは困難です。よって、メスを誰もいないところへ誘い出し、二人きりで静かにこっそり行うしかなかったでしょう。
 ここに、セックスが秘め事になったのではないでしょうか。セックスを秘め事とする唯一の動物、それはヒトでして、この時代にこうした事情から定着したと考えるしかないと、私は思うのです。
 ただし、状況は異なりますが、チンパンジーの世界でも類似した行為が取られることがあります。低位のオスがお気に入りの発情メスと性交したくても、リーダーや高位のオスの前では決して許してもらえませんので、そのメスが彼らから離れた機会を捉え、彼らに見つからない場所の葉陰から、木の葉を使った「草笛」で誘いの合図を送るのです。これを聞いたメスは、その低位のオスを気に入っていれば、こっそり姿を隠して、誰もいない場所へ移動して性交するのです。なお、この場合、草笛はチンパンジーの一地域文化で、地域が変わればまた別の方法になります。

 ヒトのオスがセックス革命を果たしたことによって、群社会に変化が生じ、オス間の平等性が崩れてしまって、若オスに対する差別と、メスへの誘いかけの競い合いにより、オス間に順位付けが生じたことでしょう。
 その結果、オスのリーダーが明確な姿を持って登場したと思われます。その資格は、誘いかけのテクニックが上手なことと、他群のオスとの折衝がうまいことの2つであったのではなかったでしょうか。誘いかけが上手であればセックス頻度が高くなり、皆の憧れの的になるでしょうし、また、対外折衝がうまければ通い婚がスムーズに成立し、皆から尊敬されることになるからです。

 次ページ ⇒ 第4幕 偉大なる思想の完成

(本稿の記事は青少年教育上ふさわしくない表現が含まれますのでアダルトサイトでの投稿としました。)
スポンサーサイト
[PR]

トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す

   

プロフィール

永築當果

Author:永築當果

検索フォーム

カテゴリ

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム