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第5幕 ヒトから人へ

人類の誕生と犬歯の退化

第5幕 ヒトから人へ

1 性交⇒妊娠⇒出産の連関を知る
 十数万年前に、流暢に言葉を喋ることができる現生人類がこの世に姿を現し、現在の人と全く変わらない頭脳を持つに至りました。
 しかし、そうであっても、まだ誰一人として「射精を伴う性交によって、メスが妊娠し、出産する」などということは思ってもみませんでした。
 確かに精液の存在そのものは誰もが知っていましたが、それと妊娠・出産との因果関係に全く気がついていなかったのです。
 大自然の原理、それを知ることが発見なのですが、これは、旺盛な好奇心と鋭い観察眼がないことにはできませんし、また、いかなる発見も偶然性に大きく支配されています。
 当時の現生人類やその祖先の原人たちも、好奇心が旺盛であったに違いなく、また、観察眼は今日の我々よりも鋭いものがあったでしょうから、哺乳動物の性交に至る有り様のみならず、鳥類や昆虫に関する類似行為のそれまで、よく知っていたのは確かなことです。
 それゆえに、“人は万物の霊長である”からして、当然に「性交は生殖行為である」ことを人はとうの昔から知っていたものと、我々は思い込んでいるのですが、決してそうではなく、その逆です。
 なぜならば、哺乳動物の性交に至る一連の行為をじっくり観察すれば、ヒトが行う一連の挨拶行為とあまりに類似し、それは、ヒトと全く同じ目的を持ったものとして理解するしかないからです。
 その挨拶行為の最後に行われる「結合」というものが、「生殖」という、とんでもないことであることを発見し得るには、ヒトとはどれだけか異なった行動をとる動物…それは魚類ですが…その立ち振る舞いを鋭く観察する中で、旺盛な好奇心が元で生ずる“遊び心”でもって実験を行い、思索にふけるしかないでしょう。
 そうした中で、ついにヒトだけがその発見に至ったのです。
 それがいつかと言えば、クロマニヨン人がヨーロッパへ進出して、そこで盛んに鮭を食べるようになったときで、たった3万年前の出来事ではなかったかと私は考えます。もう一つの可能性として、水生生活をしていた時代が考えられますが、直ぐ後で述べます対比実験が困難な環境にあったでしょうから、その発見は出来なかったと考えて良いでしょう。 
 さて、約4万年前には現生人類が世界中に散っていき、新大陸と寒帯・砂漠を除いてヒトの生息域の空白地帯がおおむね消滅したと思われます。これ以降、石器が発達し始め、後期旧石器時代が訪れます。
 これは、火食を始めて以来、数十万年にわたって続けてきた芋と野草に時折の肉食という恵まれた食生活ができない地域へもヒトが進出していかざるを得なくなって、肉食に比重を移したり、また、代替食糧として様々な生き物を食べるようになったからと思われます。
 さて、クロマニヨン人は約4万年前にヨーロッパに進出し始めます。芋や野草に恵まれない当地にあっては、当初は木の実と哺乳動物の肉を中心とした食生活をしていたでしょうが、しばらくして哺乳動物の捕獲に労力を要するようになり、その代替食糧として秋には河川に遡上する鮭を盛んに食べるようになったと思われます。
 川面に盛り上がるほどに群を成す鮭ですから、取り放題、食べ放題です。彼らは、毎日腹いっぱいに鮭を食べ続けて飽食したことでしょう。すると、北海道のヒグマと同様に鮭の肉に飽きがきて、卵のイクラしか食べなくなったことでしょう。鮭をつかまえて腹を裂くと、2匹に1匹は外れで、白子を持っていて、それを潰すと白い液体が出ます。
 こうして、彼らは鮭が2種類いることを知っていました。飽食して暇を持て余す彼らは、鮭が浅瀬で取る珍しい行動をじっと観察します。

 1匹の鮭に何匹もの鮭が着かず離れず寄り添っている。産卵されるやいなや、寄り添っていた何匹もの鮭が一斉に白子を発射し、時には川が白濁するほどになる。そのとき、鮭は皆、体を震わせて口をあんぐりと大きく開ける。

 このことは、誰もが知っていたに違いありません。そうした中で、

 ヒトも、オスがメスに接触すれば、オスは白っぽい液体を放出し、体を震わせたり口をあんぐり開けることがある。良く似た挨拶行動だ。でも、根本的に違う。自分たちは1対1だが、彼らには多数対1の同時性がある。これは、いったい何を意味するのであろうか。

と、不思議に思った者がいたことでしょう。そして、ついに、好奇心旺盛な偉大なる生物学者、人類史上最初の自然科学者が登場します。
 彼は、産卵されたイクラが川底の石に付着して、やがて孵化して稚魚になることを知っていました。そこで、遊び心でもって、白子なしでも孵化するかどうかの対比実験を、鮭が遡上できない谷川で行ったのです。
 彼は思索にふけった後、歓声を上げます。
 “分かった! ヒトのオスが射精するのは単なる生理現象だけではなかったのだ。これにより、メスは妊娠し、やがて出産するのだ。”
 ヒトが「性交⇒妊娠⇒出産」の連関を発見した経緯については、様々な思索を私が展開する中で、これしかないと思ったのですが、いかがなものでしょうか。

2 第2文化大革命
 こうして、人…これより、オス・メスを含めて漢字表記します…は、「性交⇒妊娠⇒出産」の連関を知ってしまい、このとんでもない大発見は、集落…これより、群をこう表記します…から集落へと伝わり、早々に人の社会全体に知れ渡ることになってしまったことでしょう。
 そして、これによって性交の概念が急変し、人の社会に第2文化大革命が嵐の如く吹きまくったに違いないでしょう。
 女たちは皆、今までの何人もの男による通い婚を拒み、一夫一婦の永久婚、つまり、家族を持つことを男に要求したのではないでしょうか。
 これは、母系の一夫一婦婚社会への革命的変換をなさんとするもので、母系志向となるのは、今までメスは群から出ることなく、メス同士の血縁関係で繋がっていたのですから当然ですし、家族制度への志向は、次のとおり、女の思考論理からすれば、当然の帰結になってしまうからです。

 女は、出産によって自分の分身が誕生するのですから、必然的に「自分=自分の子」と考え、「自分の子=自分」と立場を逆転しても同じであるとし、両者は完全に同一のものとして思考してしまいます。また、「自分の子」は特定の男つまり「夫」の分身の精液によって誕生しますから、「自分の子=夫」であり、かつ「夫=自分の子」と思考してしまいます。そうなると「自分=自分の子=夫」となってしまい、ここに、「自分=夫」つまり「自分」と「夫」を一体不可分なものとして同一視するに至ります。
 加えて、「自分の子」の「夫」が出産の度に異なってしまっては、「自分=夫」の一体化の成立が困難になりますから、全ての「自分の子」は同一の「夫」の子でなければなりません。

 この思考の仕方は現代人には奇異に思われますが、異質のものを完全に同一視することは世界中の神話や民話に広く見られ、古代人の女性は皆、この思考方法を自然に採ったのではないでしょうか。
 この思考方法を、中沢新一氏は、その著「対称性人類学」(講談社選書メチエ)の中で「対称性の思考」と呼んでおられ、これは「無意識の世界で生ずるところの流動的知性に基づく人間の本質である。」とおっしゃっておられます。
 どうやらこれは、子を産む女に卓越した思考のように私には思われ、一方の男は単に精液を放出するだけのオスという性(さが)であるがゆえに、女の思考論理が働きにくく、「自分=妻」かつ「妻=自分」であるなどという思考は、現代人の男にはとうてい不可能と思われますし、古代人の男にあっても、この論理には付いていけなかったのではないでしょうか。
 でも、精液によって子が生まれることを知ったのですから、男は特定の女と独占的に性交し、“我が子”…男に初めて登場した概念…の誕生を願うようになったことでしょう。
 ここに初めて、男は「父性愛」を持つに至り、我が子を愛しく思い、慈しむ感情が湧いてきたのです。こうなると、現代的な感覚からすれば一気に家族が誕生し、今日の形態である一夫一婦婚社会に転換してしまいそうです。特に今日の日本においては、私がそうであるように、男たちは一穴主義を貫き、父性愛でもって子煩悩ぶりを遺憾なく発揮し、我が子、分けても息子に英才教育を施したりするのです。
 しかし、文化人類学の知見からして、太古の昔に家族制度が確立したような証拠は一切なく、逆に乱婚社会であった証拠ばかりです。
 例えば、古い社会生態を残している部族にあっては、1つの集落に常駐している大人の男は、その集落全ての子供の父として扱われる文化を残していますし、また、先に述べましたとおり、日本では通い婚や夜這いの風習をつい最近まで広く残していました。
 そもそも、家族制度の歴史は新しく、基本的には、男が女を隷属させ、男が財産を私的に所有し、その財産を息子に相続させる父系一夫一婦婚が成立することによって初めて発生するもので、それは、フリードリッヒ・エンゲルスの著「家族・私有財産・国家の起源」に詳細にわたって論述されているところです。もっとも、いきなり父系化したのではなく、農耕社会にあっては女も農地を所有し、母系でスタートしたものの、戦乱や飢饉などによって父系社会に切り替わっていったようです。
 なお、これといった財産を持たない狩猟採集民にあっても、現在ではそのほとんどが父系一夫一婦婚社会になってしまっていますが、これは、そうした社会に転換してしまっていた農耕・牧畜民と敵対的な接触を繰り返したり、彼らとの交換経済を通して物欲に目覚めたりして、異文化が導入されてしまったからと考えて良いようです。

 さて、当時の男にとっては、妻を娶り我が子を持ちたいという欲求と父性愛がどれだけかは生じたでしょうが、今日の日本におけるような家族を大事にし、子煩悩ぶりを発揮するなどということは、従前の生活とはあまりにも乖離したもので、考えてもみなかったことでしょう。
 なぜならば、毎日食糧を運んでやったり、遊んでやり、教育してやるという生活は、女子供の専属の下男に落とし込められることになり、当時の男にとっては苦痛以外の何ものでもないからです。そんなことは、従前どおり、女がそして遊び仲間の年長の若者がやれば良いことであって、決して大の大人の男が乗り出すことではないのです。
 今日の狩猟採集民にあっても、食糧採集はたいていは女の仕事になっていて、大人の男は気が向いたときに誘い合って狩猟に出かけるだけで、女に食べさせてもらっているのが実態ですし、また、遊び相手や教育の主体は年長の若者であって、大人の男は互いの紐帯を図ることに気を使い、一般的に我が子であっても、ぞんざいな扱いしかしないことが多いです。
 そればかりではありません。一夫一婦婚の初期つまり対偶婚の状態にあっては、男は妻だけとのセックスに十分満足できますが、妻が妊娠でもすれば恋愛感情は冷めてしまい、他の女とセックスしたいという欲望がフツフツと湧いてきますから、一穴主義を強いられることはとうてい我慢できなくなります。
 ましてや、死ぬまで一穴を強いられ、子育てまでさせられるとなると、男が女の奴隷にされたのと同じで、絶対に受け入れられないです。
 男というものは何よりも数多くの女とセックスしたいばかりでして、たとえ自分が種を蒔いてこしらえた子供であっても、それに縛られるのを断固として拒否する心をしっかり持っていると言えます。
 なぜならば、男の心には元々チンパンジーのオスの血が流れていて、非暴力の心を持ち備えたヒトに進化してからも、男たちはチンパンジーのオスと同様に乱交しまくっていたのですから、ペア社会に甘んじているテナガザルに急変身することは、全くもって不可能なのです。

 そこで、女たちは家族制度を樹立せんとして団結し、男達に対して“一夫一婦婚の固い契りを交わさない限り、金輪際セックスの相手をしてあげない。”と宣言したのではないでしょうか。突拍子もないことと思われるでしょうが、私はその可能性が大きかったと思えてなりません。
 異論があるかと思いますが、そうなったとしましょう。すると、男たちは父性愛を完全に押し殺し、ここに「平等」の概念を強く押し出して、女たちに対抗するしかないです。つまり、男たちは皆、特定の女との独占的な対偶婚は絶対にしないと協定し、どの女ともどの子供とも均等にしか接触しないとの取り決めを行い、これを男の掟としたでしょう。
 個々の男にとっての「愛」なるものは、一時の対偶婚という恋愛と、我が子に対する永続的な父性愛の2つしかないと私は思うのですが、いずれも排他的な独占欲で、「愛」と「平等」とは相反する観念になりますから、このとき以降、男たちは、今まで格別に意識することのなかった「平等」という観念を大きく発達させたのではないでしょうか。
 こうなると、セックスレスでも生理的に何ら不都合が生じない女たちは、全ての男たちに対し、セックス拒否のストライキに入ったことでしょう。
 そこで登場したのが、男同士のホモ行為ではないでしょうか。
 メスとの接触が全くないゴリラのオス集団においては、人顔負けのアナル・セックスによるホモ行為が頻繁に行われているのが観察されていますから、その可能性が高かったと思われるのです。
 男どもは、一時、女とのセックスを完全に断ち、性交の代替として盛んにホモ行為にふけり、また、これによって男同士の紐帯をいっそう深めたことでしょう。ホモ行為の起源は、ここにあったと考えて良いと思われ、程度の差こそあれ、古今東西どこにでも男色が見られるのは、ホモ行為は単なる異常性愛ではなく、男同士の紐帯を築くという一定の役割を担ってきているからと言えるのではないでしょうか。
 こうして、女たちは、通い婚にやってきた別の集落の男たちと自分たちの集落の男たちが、飽きることなくホモ行為を繰り返すのを毎日のように見せ付けられる羽目になります。
 こうなってしまうと、女たちは皆、あきれ果て、そしてあきらめ、とうとう男たちのわがままを慈悲深く許したに違いありません。

 男心が全く理解できなくても、ありのままを受け入れてしまうという心の持ち主である、観音菩薩のような存在の女…現代の女たちも男にとっては、そのような有り難い存在であると私は思うのですが…そうした女たちに、当時の男たちは感謝したのかどうかは定かではありませんが、女たちが強く望んだ一夫一婦婚も、家族も、決して日の目を見ることなく、男たちが望むところの従前どおりの通い婚による乱婚社会に早々に落ち着いてしまったのではないでしょうか。
 男心と女心、互いに理解しようと思っても理解することは不可能なもののようでして、本節は、私の男心からだけのアプローチですから、女性の方からは“これは的外れな推理よ。”と一笑に付されてしまうかもしれません。その点、何卒ご容赦ください。

3 第2文化大革命の嵐を乗り越えて
 このようにして…かどうかは不確かではありますが…第2文化大革命は、何らかの形で巻き起こったと思われ、そして、一時の嵐で終わったことでしょうが、人社会にどれだけかの変化を生じさせたと思われます。
 まず、男たちが通い婚を継続させられたことによって、従前よりもいっそう平和な社会が訪れたことと思われます。なぜならば、男にとっては自分の息子や娘を特定することは困難ですが、どこかに必ずいるであろうということになり、万一、他の氏族や部族と敵対することになると、自分の息子や娘を窮地に陥れることになってしまうからです。
 従って、氏族や部族の男同士がよりいっそう友好的に接触するようになって、平和維持に大きく貢献し、女子供たちがよりいっそう安心して暮らせる平和な社会を構築していったのは間違いないでしょう。
 次に、当時、既に原始宗教が誕生していましたから、性器は一気に神聖なものとされてしまい、このとき以来、大人になれば陰部を隠すという風習が生まれたことでしょう。
 そして、セックスも神聖なものとなり、男の誘いに対して女は慎重になってしまい、セックスの頻度が落ちたに違いありません。
 男にとって、これは大変困った切実な問題となりました。
 そこで男たちは祭事における集団セックスを画策し、これをまんまと成功させたことでしょう。例えば、満月の晩に盛大な祝祭を行い、祝宴をあげて非日常を作り出せばよいのです。こうした風習は今ではあまり見かけられないようですが、アマゾン奥地のヤノマミ族では現存していますし、日本では戦前までは何らかの形で広範囲に残っていました。
 第3に、女は、死と隣り合わせの高齢出産を避けるために、ある年齢になればセックスをしなくなり、ついに閉経するようになったのです。こうして女の寿命が延びて老婆が誕生します。
 そして、老婆は、男の長老と並んで氏族や部族のリーダー的存在となって、主として神事を司ることになり、氏族や部族は宗教を通じてより結束し得たことでしょう。
 なお、老婆が神事を司る制度は今日でも世界中に数多く残っています。平和な時代にあっては豊穣の神と子宝の神が主神となり、どちらも女に密接な事柄ですから世界的に両神とも女性の神様とされていて、当然にして女が神事の中心となるのです。

4 人類の悲劇の始まり
 こうして、人は、この文化大革命を経て、より平和でより安定した強固な氏族・部族社会を構築していったのは間違いないことと思うのですが、これに伴って若干の人工漸増を引き起こしたことでしょう。
 一つは先に述べました老婆の誕生ですが、これは単に平均寿命が延びただけのことで一時的な人口増加に過ぎません。後世に大きな問題を引き起こしたのは、父性愛に基づく食糧の意識的な供給によるものです。
 つまり、通い婚に出かける道中で美味しい果物を見つければ、今までは男はその場で食べてしまっていたことでしょうが、これからはそうしなくなります。顔や姿形から自分にそっくりな子ともなれば、その子やその母親にこの美味しい果物を食べさせてやりたいという気持ちが湧いてきて、自分は食べないでこれを土産として持って行きたくなるでしょう。
 しかし、これをやってしまうと平等の精神に反します。ですから、これから訪ねていく氏族の全員に行き渡るよう、こまめに探し歩いて十分な量を採集することになります。これに類似した行動が今日の狩猟採集民にも残っていて、彼らはことのほか平等を重視しています。
 こうなると、皆がどれだけかの過食になってしまい、ために妊娠周期をどれだけか短くし、出生数の増加を見ます。増加といっても微増でしょうが、人口増加は累乗で効いてきますから、たった千年の経過でもって無視できない数値になってしまいます。静かなる人口爆発の始まりです。

 自然の状態においては、動物の生息数は基本的には食糧資源の量と相関関係にあります。食糧が乏しくなればメスに栄養が渡らず、妊娠周期が長くなり、出生数が減り、その結果生息数が減少するからです。
 それが自然の摂理というもので、これに逆らって男が無理して食糧を集め回って女子供に食べさせればどうなるかは一目瞭然です。
 食料資源は枯渇し始め、狩猟採集に労力を要するようになります。骨器が盛んに開発され、釣り針さえも登場し、そして弓矢も発明されました。
 それでも食糧は不足し、今まで見向きもしなかった穀類をとうとう手間隙かけて調理せざるを得なくなって、約1万年前には、中東においては麦を、中国の長江下流域では米を主食とするようになりました。
 すると、芋には少ないですが穀類に多く含まれる油脂によって、恒常的にカロリーが過剰に摂取され、その結果、妊娠周期が狭まると同時に授乳中であっても排卵を始めるという、霊長類にあってはヒトだけに特有の体質を身に付けてしまい、ついに人口爆発…動物生態学上から申せば、ヒトの地球規模的異常増殖とそれに伴う生態系の不可逆的破壊…を引き起こしたのです。

 人類の悲劇の幕開けです。
 その悲劇の始まりを一時先延ばしした…私が思うには人口過剰問題の解決を不可能にしてしまった…のが、約9000年前から約2700年間の長きにわたって続いたヒプシサーマルです。年平均気温が現在より2~3度高くなり、極地の氷が一部解けて海面も2~3メートル高くなりました。
 この地球温暖化によって、今日、乾燥地帯になっている中東からサハラ砂漠にも十分に雨を降らせてしまい、広大で豊かな草原を誕生させ、豊富な食糧を人々に供給してしまったのです。その間、人口は増え続け、収容能力は限界に達していたことでしょう。この温暖な最適気候期…見方を変えれば最悪気候期…が終了し、寒冷期に突入したのが約6300年前です。豊かに穀物が実るという時代が終焉し、一気に地球規模的大飢饉が訪れたのです。
 そこで、生き残りをかけた戦いが始まりました。ただし、戦争ではありません。いかにして食糧の生産性を上げるかの、自然環境との戦いです。
 この寒冷期の訪れとともに食糧生産のための技術革新が急速に進み、石器が格段に改良され、時代は新石器時代に入ります。
 温暖気候によってあまりにも過剰になった人口ではありますが、人々はそれを維持しようとして必死になって食糧生産に取り組んだことでしょう。でも、その努力の甲斐もなく餓死する人々も多かったことでしょうが、穀類を主食としている限りは人口圧力がかかり続けますから、生産性を向上させていかねばならず、技術革新は止むことはありません。
 しかし、自然環境を改変し、生産性を上げれば上げるほど生産基盤は脆弱なものになってしまい、ちょっとした異常気象であっても食糧生産が壊滅的な打撃を受けることが往々にして生じてきます。
 そうしたことから、人々は当面の必要量以上に穀物を生産し、また家畜の頭数を増やし、天災への備えを行うようになったことでしょう。
 これから先は説明したくない気分ですが、ここに、とうとう交換経済が始まってしまったのです。そして、過剰な備蓄物は価値ある「商品」となり、人々は「所有権」という観念に目覚めてしまい、どれだけも遅れることなく「私有財産」が登場したことでしょう。
 こうなってしまうと、従前は飢餓に苦しむ部族があれば余剰食糧を無償で譲渡していたでしょうが、これをしなくなり、そして備蓄穀物や家畜を他部族による略奪から守ろうとして、ついに約5500年前のメソポタミアの古代都市ウルクでは城壁が建設されてしまったのです。
 ここに、原始共産体制があっけなく崩壊してしまい、やってきたのは私有財産を守らんがための、そして、それを略奪せんがための、戦争という最悪の暴力の発生です。
 これに伴って人の社会が大きく変貌し、一夫一婦婚になってしまったのです。第2文化大革命で女が求めた制度が、大きな悲劇とともに誕生してしまったという、この皮肉をどのように評価すれば良いのでしょうか。
 ただし、母系ではなく、父系の社会に変わり、男が奴隷にされるのではなく、女が奴隷にされてしまったという根本的な相違はありますが。

 ヒトが科学して人となったことにより、ここに、ヒトが所有権を放棄する思想をもとにして醸成しつつあった「非所有」の心と、ヒトが既に獲得していた「非暴力」の心が、無残にも共に捨てさせられてしまうという、由々しき事態を招いてしまったのです。
 人が単なる好奇心でもって科学して何かを発見し、それが皆に知れ渡ってしまったら、どうなるでしょうか。20世紀最大の偉大なる科学者アインシュタインが相対性理論を完成させる中で「E=mC二乗」を発見したことによって、瞬時に大量虐殺できる原子爆弾を生み出し、大きな悲劇を生んだのは記憶に新しいところです。それをはるかに上回る人口爆発という比類なき人類の悲劇が、3万年前に登場した人類史上最初の、そして最も偉大なる生物学者による「性交⇒妊娠⇒出産」の連関の発見によってもたらされてしまったのも、また間違いないことです。
 科学というものはかくも恐ろしいものであり、我々人類は、発見によって得られた新たな知見の、その使い道を決して誤ってはならないのです。

 次ページ ⇒ 本論を閉じるにあたって=守るべき人類の遺産 (1月下旬投稿予定)


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コメント
1:まるで神業 by 仏の提言 on 2013/12/23 at 18:57:46 (コメント編集)

木村です。私からすれば信じられない文章です。これからどれ位かかるかもしれませんが読ませていただきます。貴重な論文をご紹介いただきまして心より御礼致します。この知識をなんとしても生かせて頂きたいと思います。

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Author:永築當果

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