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生殖の新たな定義「過栄養の排泄」(その1:複相の真核生物の誕生)

 本稿は、アメブロに掲載した永築當果の真理探訪=男と女の不思議のベースとなる論文で、その1~その3 までの 3回シリーズで掲載しました。少々長文ではありますが、最後までお付き合いくださいますようよろしくお願いします。

はじめに
 動物のオス・メスは、なぜに性行為を行なうのだろうか。
 そんなことは決まりきっている。それは「子孫を残すためである」として、これは100%正しい真理であって、何の疑問を挟む余地はないことだ、として信じきられている。
 小生は、これに素朴な疑問を持っている。
 この疑問を抱いたのは、薬屋稼業の傍らに百姓をやる中で植物を相手にしていて感ずるところがあったからである。
 芋類は、その増殖の仕方がまちまちであるものの、交配することなく、自分で自分の分身を作って生きているのであり、植物学上は1年草として寿命は1年とされるのだが、里芋の生き様をみていると、これは永遠に生き続ける不老長寿の生き物ではないかと感じさせられるのである。
 毎年春に種芋を植え付け、秋に収穫しておれば、そんなことは考えないのであるが、日陰になった堆肥場に放った里芋の屑芋が転がり落ちて堆肥場の淵でたった1本だけが芽吹き、一人静かにひっそりと葉を付け、冬には葉が枯れるものの春には再び芽吹くという繰り返しをしているからである。掘り返して芋の付き方を観察したわけではないが、日陰であるから背丈は50センチ程度にしかならない。よって、子芋がどれだけもできておらず、ひょっとしたら親芋から再び芽吹いているのかもしれないと思わせるからである。
 そうしたことから、この里芋は冬の間は冬眠しているだけと考えた方が素直な感じがする。
 また、この里芋の親芋が1年で命を失い、翌春には子芋から芽吹いていたとしても、親芋と子芋はクローン(遺伝子情報を全く同じにする個体)の関係にあるのだから、生命体としては全く同一の1個体として保存されていると思った方がよいのではなかろうか。
 つまり、親芋も子芋も皆、自分なのである。

 もう1つ不老長寿の生き物ではなかろうかと思わせる生き物がいる。それは細胞内小器官のミトコンドリアである。DNAの遺伝子解析が進み、一躍注目されるようになったミトコンドリアは、他の細胞内小器官とは全く異なり、二重の膜で保護されており、かつ、独自のDNAをその中に持っていて、遺伝子情報の言語も異なるという。
 哺乳類にあっては、ミトコンドリアは、通常1つの細胞内に数十個から数百個は存在し、生体が必要とするエネルギーの95%を生産する重要な器官である。
 その起源は、宿主の球状単細胞生物の中へ、極小の単細胞生物・ミトコンドリアが数多く侵入して寄生したのが始まりのようである。その後に共生関係を築き、さらに生物合体を成し遂げたと考えられている。
 こうした単細胞生物の合体は他にもあったようであるが、それぞれのDNAは繋ぎ合わされたり、1箇所に寄り集まって完全に一体化しているのに対し、不思議なことに、ミトコンドリアのDNAだけは合体を果たしていないのである。ただし、部分的に切り離され、宿主のDNAに入り込んでいるようではある。

 ここで少々脱線するが、このミトコンドリアの在り方は、今日の世界経済のエネルギー供給の在り方と酷似した面を持つ。小国であっても石油を生産する国は、その絶大なる資源供給力でもって、決して大国の一部の州などとして吸収されることなく独立を保っているのであり、発言力も強い。従って、95%ものエネルギー生産を司る細胞内小器官のミトコンドリアも我が道を行くと独自性を保っているのであって、宿主細胞はミトコンドリアに支配されている様相を示しているのである。そして、宿主細胞が支配されれば、多細胞の生命体自体もミトコンドリアに支配されることになる。これをもじった小説も書かれて映画化され、人気を博した。
 参考までに、その小説を紹介しておこう。瀬名秀明著「パラサイト・イヴ」(1995年刊)である。
 しかし、このようにミトコンドリアを解釈すると、大きな落とし穴にはまる恐れが大である。
 類似した落とし穴にはまったのがダーウィンであり、彼の進化論「種の起源」は、当時、大英帝国が産業革命を成功させ、その資本主義の原理がことごとく生物の進化にも当てはまると錯覚して打ち立てた論であり、これを専門家までが見間違ってしまったのである。
 生物進化の原理と資本主義経済の原理が同じであるはずはなく、あまりにも間違いの多い「種の起源」であるのだが、人受けしやすい理論であるがゆえに、これは正しいと信じられているから困ったものである。

 話を元に戻そう。このミトコンドリアは、生物合体を成し遂げたものではなく、いまだ宿主細胞に半寄生・半共生の状態にあると捉えたほうが良いと小生は考えている。たしかにミトコンドリアは宿主細胞に膨大なエネルギーを供給するのだが、ミトコンドリアは高濃度の酸素を要求するのに対し、宿主細胞は酸素を嫌っているからである。よって、宿主細胞は過剰な酸素によって生ずる活性酸素によって痛め付けられ、寿命を短くさせられてしまうのである。
 動物が不老長寿とは参らぬ大きな原因の一つがここにあると思えてしかたがない。

 さて、ミトコンドリアは卵子の中に万単位で存在するのであるが、精子(卵子と合体しない尻尾を除く)には全く存在せず、卵子と精子の頭部が合体し、その後、受精卵は急激に細胞分裂を開始するのであるが、卵子に存在するミトコンドリアだけが分裂した全細胞にばら撒かれるとともに自己増殖していくのである。
(極一部の種にあっては、精子のミトコンドリアが卵子に入り込んで増殖していくことが分かっているが、これはあくまで例外であり、ここでは取り上げない。)
 これが意味することろは重要であり、ミトコンドリアはメスからのみ引き継がれるのであり、ミトコンドリアという生命体の立場に立ってみれば、そのメスの体を構成する全細胞に散らばっているミトコンドリアはクローンであるから、その全部が皆、自分であり、たまたま卵子に入ったものもクローンであって、これも自分である。従って、ミトコンドリアは永遠に細胞分裂を繰り返し続けて自己保存する不老長寿の生き物だ、ということになる。
 ところで、そうした自分が1宿主細胞の中に少なくとも数十個体が存在するのであるから、話がやや複雑になる。なぜならば、1宿主細胞の中にそれだけの数のミトコンドリアがいつもいて、宿主細胞の分裂に併せて、それぞれのミトコンドリアも分裂して先々まで各宿主細胞に存在し続けるからである。あたかも数十個体からなる生物が群を成して存在するかのごとくの様相を示し、1宿主細胞の中のミトコンドリア個体間の関係は他人ということになる。
 しかし、その数十個の他人の中には、まれにDNAに傷が付いたりして分裂する力が弱まり、消滅せざるを得ないものも生じてくる。そうなると、健全なミトコンドリアの再分裂で不足分を穴埋めし、これが何度も繰り返されるうちに、やがては1宿主細胞に存在するミトコンドリアは、どれか1個体の分身ばかりで占められるようになるであろう。
 その宿主細胞のうちの特定なものが卵細胞となり、皆、クローンであるミトコンドリアが爆発的に数を増やし、クローンを作り続け、不老長寿の生き物として存在し続けるのである。

 以上述べた里芋とミトコンドリアの例は極めて珍しい生殖の例であるかもしれないが、そもそも生殖とは何かという根本的なことを原点に立ち戻って考え直してみる必要性があると思うから取り上げた次第である。
 なお、ここからは植物については触れないで話を進める。なぜならば、植物は動物とは全く違った生き方をしているから、その進化の仕組みや生態は動物とは丸っきり異なったものとなるからである。


生物の合体
 地球上に生命が誕生し、生き物らしくなった最初のものが単細胞の原核生物であり、現生していて、DNAが隔離されることなく細胞内に浮遊している単純な姿をしている。形状も大きさも様々である。また、ミトコンドリアと共通の祖先と考えられる極小の原核生物も現生する。
 その後、真核生物と呼ばれる単細胞生物が誕生した。細胞内のDNAが中心にある核にまとまって集まり、二重の膜で隔離された姿になっている。
 そして、この真核生物には原核生物のミトコンドリアが侵入を果たし、細胞内小器官として多数存在することとなった。その在り方は先に述べたとおりである。
 次に、オタマジャクシの尻尾の部分、これは精子のそれに特徴的な形であるが、これと似た姿の原核生物も現生し、スピロヘータと呼ばれているが、これも真核生物に合体を果たした。と言うより、スピロヘータは既に原核生物時代に数多く合体を果たしていたことであろう。なぜならば、現生の原核生物は鞭毛を持つものが一般的になっているからである。
 また、原核生物になくて真核生物に存在する細胞内器官、リポゾーム、ライソゾーム、ゴルジ体といったものも、それぞれの元になる原核生物が真核生物に合体したのかもしれない。
 さらに、これは動物の多細胞化がかなり進んだ後のことであろうが、単細胞の真核生物であるアメーバが動物の生体内に侵入して共生し、病原菌を食べるなかで共生関係を密にし、最終的にはDNA合体を果たして、白血球となって今日に至ると推測されるのである。
 こうした、幾度もの合体を通して、生物は様々な機能を獲得しつつ進化したのは間違いなさそうで、単細胞の真核生物であっても既に膨大なDNA、つまり遺伝子情報を持つに至っており、この段階で高等生物と呼ばれることもあって、その後は単に多細胞化したに過ぎず、体が大きくなれば必然的にそれぞれの部位に特徴的な遺伝子情報が顕著に発現されることになっただけである、ということも言えるのである。

単細胞生物の分裂=無性生殖
 多細胞動物の受精卵は急激に細胞分裂して多細胞化するのであるが、単細胞生物もそれに負けず劣らず盛んに細胞分裂を繰り返す傾向にある。これを無性生殖と呼ぶ。
 まず、最も原始的な原核生物であるが、その細胞分裂は次のようにして行なわれる。
 原核生物はDNAを1本ずつ(単相)しか持っておらず、二重らせんのDNAが離れて互いに反対側を複製し、2セットのDNAができかけると、それが左右に分かれて真ん中で2分割され、やがて1つの細胞が別れ別れになり、クローンが2つ出来上がる。つまり、自分が2人になる。
 ここで、一つ疑問が湧いてくる。原核生物はなぜにこのような複雑に込み入った仕事をするのであろうか。そのまま1個の単細胞であり続けた方が何と言っても楽である。高度に多細胞化した哺乳類となると、もっともっと複雑怪奇な込み入った仕事をして子を作っている。

 基本的に、生き物というものは毎日のんびりだらりと暮らすことを求めている。動物の生態を長年にわたりじっくり観察を続けておられる生物学者の共通した見解である。 
 例えば、高度な頭脳を持つ“森の人”と呼ばれるオランウータンは、食糧が豊富に得られたときには、樹上のベッドから全く出ることなく、排便排尿以外のことは何もせず、ぐうたらな数日間を過ごすこともあるのであり、その日暮らしを満喫しているようであって、彼らには生きていくための特別な目的を持っているとはとても思われないという。
 つまり、生き物は無目的に生きているのである。その例外は唯一ヒトだけである。

 でも、原核生物にあっては細胞分裂という無性生殖をするのであり、多細胞動物にあっては有性生殖をして受精卵を作り、細胞分裂を繰り返して親と同じ姿を復元させる。
 こうしなければならないわけは何であろうか。それは次のように説明されることがある。
 地球上の生物は皆、DNA(遺伝子)を持っており、これは、電磁波や化学物質で傷付きやすく、何らかの原因でDNAに傷が付き、それが修復不可能となれば、必要なたんぱく質の合成ができなくなって生命維持に支障をきたし、そうしたことが度重なると生命活動を停止するしかなくなり、つまり死んでしまう。
 そうなっては困るから、そうならないうちに、つまり健康なうちに自分の分身を作っておきたいと言う本能が働き、生殖行為を行なうのである。

 この説明は正しいであろうか。疑問点が2つある。
 一つは本能の存在であり、もう一つは目的論で語れるかということである。
 近年、本能というものはないと考える立場の学者が増えてきた。これは望ましいことである。説明できない事柄を全て本能の一言で片付けていた傾向が強かったからである。今日では、本能ではなく、何かに対する反射という行動として捉えるようになってきた。
 となると、「自分の分身を作りたい」という欲求は何かに対する反射とみることに困難性があり、大いなる疑問となる。
 次に、目的論である。先に述べたとおり、生物は無目的に生きているのであり、将来のために、今、何かをしておこうとは一切考えないのであるから、「健康なうちに自分の分身を作っておこう」というのは目的論の落とし穴にはまった解釈であるから、これはとんでもない間違いではなかろうか。
 高度に文明化した社会に住む我々は、毎日絶えず幾つもの目的を持って生活するのが当たり前にされてしまっているから、目的論の落とし穴にはまってもなかなか気付かないだけなのである。

 それでは、これより単細胞の原核生物の分裂=無性生殖がなぜ起こるかを考えてみよう。
 単細胞の原核生物は栄養が豊富で快適な環境にあれば盛んに細胞分裂を繰り返す。貧栄養や不適な環境に変化すると、じっとしたままで細胞分裂を止める。
 これを素直に解釈すればよいのではないか。
 最適な環境においては、単細胞の原核生物は栄養をその細胞膜からどんどん取り込む。うまいから取り込むのである。細胞膜にはヒトの味蕾(みらい)と同様なセンサーがあって、必要な化学物質に反応すると考えてよいであろう。
 そして、生きていくのに必要な有機物を細胞内で作り続ける。それが必要かつ十分な状態になっても、まだまだ栄養が豊富にあるから取り込み続ける。もう満腹だ。でも、細胞膜は栄養の取り込みに機能分化しており、満腹になっても栄養を取り込み続けようとする。
 そうなると、どんどん息苦しくなる。どうしよう。
 そこで、生きていくのに必要な有機物は細胞内に2倍程度はできているから、2つに分かれようということになったのであろう。
 でも、DNAは1本ずつしかない。どうするか。これを複製すればよいのだ。これはそんなに難しいことではない。今現在も、二重らせんになっているDNAを部分的に切り離し、そのコピーを設計図にしてたんぱく質をじゃんじゃん作っているのだから、その全部を切り離して、コピーを一度に全部作ればよいだけのことだ。そのDNAを複製するための材料も細胞内にたっぷりあるではないか。
 こうして、先に紹介したとおりの細胞分裂を果たし、単細胞の原核生物は過栄養から脱却するのである。引き続き良い環境が保たれればこれを繰り返すしかないのであり、環境が悪化すれば細胞分裂が自然と止まるだけのことである。
 結論として、「過栄養が細胞分裂の引き金になる」のであり、「過栄養によってクローンが作られる」だけのことである。別の言い方をすれば、「過栄養によって単性生殖という現象が生ずる」ということになるのである。
 我々は、「生殖」という現象を「子孫を残す」ことと考えてしまうが、生命現象においては、このように全く異なった意味合いを持つと考えた方が素直であろう。
 誤解を避けるために、「生殖」を新たに定義し直しておこう。
 「生殖とは、単なる過栄養の吐き出しである」と。
 ただし、これには例外があり、極端な劣悪環境に急変した場合には適用されない。これについてはのちほど述べることとする。

単細胞の真核生物は共食いした
 単細胞の真核生物には、DNAを1本ずつしか持っていない単相のものと、ダブル持っている複相のものとがいる。
 なぜ、単細胞で複相の真核生物が誕生したのか。
 その説明は次のようになされる。
 DNAが傷付いてしまうと必要なたんぱく質が作れなくなるが、DNAを2セット持っているとどちらかが正常に働くから生命維持に都合が良く、そのように進化した。
 これは目的論にはまった解釈の仕方である。
 そこで、別の説明が登場する。
 単細胞生物は、まさに“単細胞の頭脳”しかなく、そうした目的は持っていなかったものの、たまたま突然変異が起きて偶然に生きていくのに好都合な生物が誕生した。
 しかし、これは、説明できないことを本能で片付ける代わりに突然変異を持ち出しただけのことであり、そして、生きていくのに好都合という目的論がここにも入り込んでいるのである。これも落とし穴にはまった解釈となってしまう。
 
 ここは、行き当たりばったりで、そうなったと考えるしかない。
 豊かな環境のもとで単相の単細胞真核生物が大発生していたが、やがて環境の変化で飢餓が訪れた。皆がやせ衰え、細胞膜にほころびもでき、栄養価の高い体液が漏れ出した。それをキャッチしたクローンである単相の単細胞真核生物が自分の栄養にしようとして飲み込んだ。
 共食いである。でも、消化は始まらない。飲み込んだ有機物は自分の体を構成する有機物とまったく同じものであり、そのままで生命維持に使えるものばかりだからである。不用なものは相手の細胞膜だけであり、これは放り捨てればよい。
 この共食いは、相手を殺して食べてしまうという行為ではなく、自分と自分の合体である。
 全く異種の生き物であるミトコンドリアやスピロヘータとの合体は、原初においては食べてしまおうとしたり寄生しようという形態であって、消化しようとしたり追い出そうという力が働いたであろうが、それでも最終的には合体を果たした。それが、同質のクローン同士の合体となれば、両者が“あれ、あれっ?”と感ずるだけで、取り急ぎ実行せねばならないのはほころびのできた細胞膜の修復であり、それが完了すれば“ほっと一安心。腹も膨れた!”で終わってしまう。
 ただし、DNAが2セットもあって邪魔にはなる。でも、豊かな環境に戻れば、細胞分裂するときに元の単相の姿に戻ることもできる。
 それが、細胞分裂するときに、何かの拍子で同じものを同量作ろうという力が働いてしまい、2セットとも複製して、それ以降、DNAを2セット持ち続ける複相の単細胞真核生物が誕生したと考えた方がよかろう。

 次に、接合という生殖方法を取る生き物がいる。
 普段は無性生殖を行い、盛んに細胞分裂を繰り返すだけなのだが、環境条件が悪くなったりすると、2個体が結合し、ダブルで持っているDNAを互いに1セットずつ交換するのである。
 なぜ、接合するのか。これも同様に共食いが原因していると考えてよいだろう。
 食べてしまおうと思ったら相手はクローンであって、つまり自分であり、合体して安心したもののDNAが2倍の4セットにもなり、体中がDNAだらけになって息苦しくなり、これではたまらんから、再分離しようということになったと考えてよかろう。
 そして、いったん接合したものが再分離するときは、これは細胞分裂のときと同様に、複数あるものを等分に分けようとする力が働くであろうから、DNAの交換が極自然に行なわれることになるのであろう。
 なお、現生生物の接合において、一時的なり部分的にDNAを4セット持ったまま暮らしているものさえいるのであるから、接合とは、共食いの失敗にしか過ぎない現象であると言ってよいのである。

 以上のことは小生の全くの推測に過ぎないが、これ以外に説明のしようがないのではなかろうか。
 そして、同一環境においては、同一の種がランダムにではあるが同じように変化したことであろう。こうして、複相の単細胞真核生物が誕生し、また、接合するようになったというのが、進化の事実ではなかろうか。
 ただし、現生する複相の単細胞真核生物は状況に応じてもう少し込み入った分裂や合体をするものが多いようである。
 例えば、出芽酵母菌の場合は次のようである。
 増殖するときに分裂ではなくて多細胞生物が行なう発芽の方法を取っている。そして、環境が悪化すると単相の小さな細胞(胞子<2タイプ>)を放出し、その後成長してからは、単相のままでも増殖するし、タイプが異なったもの同士が合体して複相になったりもする。こうしたことは、生物がその後多細胞化してオス・メス化した時代に、単細胞真核生物もそれに類する方向に進化したと考えてよいのではないだろうか。

(以下、 その2:多細胞化とオス・メスの誕生 へ続く。)


(本稿は次ページ以降で青少年育成上ふさわしくない表現が含まれますのでアダルトサイトでの投稿としました。)







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