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生殖の新たな定義「過栄養の排泄」(その2:多細胞化とオス・メスの誕生)

このページは、 その1:複相の真核生物の誕生 の続きです。

多細胞生物の発生
 時代は進み、単細胞の複相真核生物が多細胞化して、多細胞生物の発生を見た。
 多細胞化がどうして起きたのか。これこそ、行き当たりばったりの進化であろう。
 これも小生の推測であるが、思うところを述べよう。
 単細胞生物は分裂を繰り返し、単細胞であり続けようとする。
 しかし、分裂を果たしても分離できなくなることがある。
 これは海水中のミネラルのいたずらであろう。何か特定のミネラルが過剰であったり不足したりすると、正常に成長できず、奇形が生ずることがある。海水のミネラル異常は海底火山の大噴火や干潟付近の陸地の火山噴火で容易に何度も起きる。
 そうしたミネラル異常の海水にさらされると、単細胞生物が細胞分裂しても分離できなくなることがあろう。そうなると、2つの単細胞生物がくっついたままで大きくなり、再分裂して4細胞体になり、これを繰り返せば数百、数千の多細胞体はいとも簡単に出来上がってしまう。
 そして、各細胞は独立しているから独自に細胞膜から栄養を取り込まなければ生きていけず、海水と全く接触できない細胞は壊死するしかなくなる。
 こうして、壺型または筒型の多細胞体が出来てしまうと考えてよいであろう。現生している原始的な多細胞生物が採っている姿である。
 その後、各細胞に機能分化が生じ、それに伴って細胞間で栄養交換も行なわれるようになったことであろう。
 この機能分化の最大の要因は、西田克成氏の進化理論(その著書「生物は重力が進化させた」)で謳われているのであるが、波による海水の流れが各部位に異なった流動電流を生じさせ、各細胞に特有の遺伝子発現をさせたと考えてよいであろう。
 そして、細胞間での栄養交換は、原初の時代における単細胞間での共生・合体、あるいは真核生物になった頃の共食いや接合の生命記憶でもって各細胞間の共生が図られ、これが円滑に行なわれるようになったのであろう。
 ここで「生命記憶」なるものを登場させた。この言葉はこの後も何度も登場するので、これについて説明しておこう。「生命記憶」はその存在が科学的に証明されたものではないが、西田克成氏がその進化理論の中で次のように言っておられる。

 …1個体、例えばヒトの発生をみたとき、卵子に精子が入り込むという単細胞生物の合体から始まって、多細胞化を進め、魚のような脊椎動物になり、ブタと変わらぬ哺乳類の形に成長し、最後にヒト特有の形質ができあがって誕生します。このように、個体発生は、こうした幾層にも積層した遺伝子レベルでの記憶が同一種ごとにそれぞれの段階において間違いなく共通して発現し、系統発生を繰り返すのです。なお、それぞれの段階における記憶は、系統発生の各段階において一定の行動様式を長く維持したことによって獲得された形質が何らかのメカニズムで遺伝子レベルで固定されて残っているのです。…

 ここで西原氏が2度言われた「記憶」なるものを「生命記憶」と言ってよいであろう。(なお、この言葉は、既に、ヒトの発生について三木成夫氏によって使われている。)
 ここからは、1個の生命体として存在するようになった多細胞動物に限って話を進める。
 多細胞化による細胞の機能分化によって多細胞体は名実ともに「動く物」となり、より良い環境へ容易に移動できるようになって生命力が格段にアップしたことであろう。
 しかし、困った問題も抱え込んだ。単細胞生物の時代とは違って容易にはクローンが作れなくなったのである。
 細胞内のDNAは電磁波や化学物質で傷付きやすく、必要なたんぱく質が作れなくなって生命活動に支障をきたすことは先に述べた。また、細胞内小器官ミトコンドリアがために細胞内に活性酸素が過剰に発生し、DNAの損傷が一段と激しくなる。細胞は、これらに対してどれだけかの修復能力を備えているものの、自ずと限界があり、多細胞動物はそのままの姿で永遠に生き長らえることはできない。
 単細胞生物であれば、盛んに細胞分裂を繰り返すからDNAが無傷ないしは容易に修復可能なのものが数多く存在しえて、それらが順調にクローンを作り続けて生き長らえ、そうでないものは生命活動を停止して他の生物の栄養源となる。こうして、単細胞生物は細胞分裂によって自分づくりを永遠に繰り返して不老長寿でいられるのである。
 しかし、多細胞動物の細胞は容易には細胞分裂できなくなって、生命活動を停止する細胞が生じてくる。
 こうして死んでしまった細胞は、その細胞膜が破れて細胞内液が漏れ出し、その多くは多細胞動物の生体内を漂うことになる。それを最も取り込みやすいのは、死んだ細胞に隣接する細胞であり、隣接細胞は肥満となって、空いたスペースを使って細胞分裂し、穴埋めすることになる。
 これが新陳代謝の起源である。新陳代謝とは、古くなり痛んだ細胞を新しい細胞に作り変えることであり、細胞のスクラップアンドビルドのことである。
 こうして、多細胞動物は寿命をぐーんと伸ばすことができるようになったことであろう。
 しかし、どの細胞もだんだん傷が目立つようになり、新陳代謝で細胞分裂してできた新しい細胞もDNAが損傷した老化細胞と同じものとなってしまう。そして、ついに新陳代謝できない細胞群や器官が生じてしまい、ここに、多細胞動物は死を迎える。

 ここで、「生と死」の根本的な問題を考えてみよう。
 単細胞生物は盛んに細胞分裂を繰り返し、自分が2つに別れて、自分が2人になる。これを「生」つまり「生まれる、誕生する」とすることに小生は疑問を感ずる。
 自分は自分として存在し、単にもう一人の自分がクローンとして出来たに過ぎず、そのクローン側に立ってみても、全く同様に自分は自分として存在し、単にもう一人の自分がクローンとして出来たに過ぎない。
 よって、ここには「生」という概念は入り込まない。単に「死」のみが存在する。
 単細胞生物には「死あるのみ」であって、今生きている単細胞生物は「自分は遠い遠い過去から生き続けている不老長寿の生き物である」となってしまうのである。冒頭で小生の感想として「ミトコンドリアは不老長寿の生き物である」と書いたのはこれに基づいている。
 ところが、多細胞動物となると、全く同じ姿形に分裂することができなくなってしまった。
 そこで、多細胞体の体表から発芽させ、小さく未熟ながらも本体とほぼ同じ姿になったものを切り離すという、単細胞生物の細胞分裂の原形をとどめる方法がまず採られたことであろう。
 しかし、これは1個の真核細胞が元になり、その生命記憶でもって本体(親)と同一体型になる多細胞化への道を進み始めたのであるから、ここに「生」の概念が登場してくることになった。
 これにより、多細胞動物は「生があって死がある」生き物となったと考えてよい。
 また、発芽ではなく、真核細胞をバラバラと放出するものも出てきたであろう。この形態はオス・メスに分化してしまった現生動物には見当たらないようであるが、原初にあっては存在した可能性が高いと思われる。

 では、なぜに多細胞動物は原初においては真核細胞を放出するようになったと想定されるのか。これも「過栄養の排泄」として捉えるしかないであろう。
 動き回り効率良く栄養を取り込めるようになった多細胞動物であるから、栄養が豊富な環境にあっては、それを取り込む細胞群はひたすら栄養を取り込み続けてしまう。すると、多細胞動物は過栄養となり、肥満体となってしまって息苦しくなる。そこで、何とかして肥満から脱却すべく過栄養の排泄を迫られることになったが、これは実に簡単なことであったろう。
 多細胞動物には栄養の備蓄なり老廃物の排泄に取り組む細胞群があったであろうから、そうした役割を担う細胞が肥満の息苦しさの度合いに応じて細胞分裂を繰り返せば済んでしまう。そうして作られた細胞は一つずつ自然と本体から切り離されることであろう。
 こうして切り離された真核細胞は、中にはDNAが傷付いているものもあろうが、正常なDNAを持つものも多いであろう。もっとも、本体が寿命を迎える末期となると、DNAが傷付いたものが多くなっていることであろうが。
 さて、この真核細胞は、本体にとっては過栄養の排泄ではあるものの、自身にとっては、「過栄養の下における細胞分裂でもって、自分は肥満から脱却した」という感覚しか持たない。つまり、単細胞時代の細胞分裂によるクローンづくりと同じ感覚である。
 そして、当然ながら、この真核細胞は、れっきとした生き物であり、正常なDNAを持つものは自分で栄養を吸収して細胞分裂を繰り返し、生命記憶を元にして親と同じ姿に成長するのは必然である。
 栄養が豊富な環境であれば多くがそうなり、爆発的に生息数を増やすが、その後においては必然的に貧栄養状態になってしまって過栄養の排泄も少なくなり、真核細胞が排泄されたとしてもそのほとんどが成長できずに死に絶え、数をどんどん減らす。でも、絶滅することはない。生息数が大幅に減れば必要な栄養が得られる個体が多くなり、過栄養の排泄が再び始まって真核細胞も成体へと成長できるようになるからである。

オス・メスの分化
 多細胞動物は、その後、より多細胞化し、細胞の機能分化がますます進み、各種器官を持つに至った。
 そして、オス・メスに分化してしまったのである。
 今まで複相のDNAを持った真核細胞の放出という過栄養の排泄をしていたものが、単相のDNAしか持たない、卵子あるいは精子の放出という、奇妙な方法を取る動物の誕生である。この卵子と精子が合体して複相のDNAを持つ受精卵となり、細胞分裂を繰り返して親と同じ姿に成長するのである。
 今や動物は基本的にオス・メスに分化してしまい、性を際立たせる方向に進化しており、特に哺乳類において非常に顕著な高まりを見せている。
 なぜに、動物はこのような奇妙な方法を採るようになってしまったのか。これも小生の全くの推測であるが、思うところを述べよう。

 これは、生命の同時大量死と密接に関係しているのではなかろうか。
 太古の時代において、突然の環境悪化が全地球的に襲い、全ての動物に未曾有の生命の危機が訪れたのである。今直ぐにも死ぬかもしれないという危機である。こうした天変地異は大隕石の衝突などにより過去に地球を何度も襲ったのは事実であり、真核細胞を放出する程度に進化した多細胞動物の時代に起こっても不思議ではない。
 こうした危機的事態に直面したとき、動物はどのような行動を取るであろうか。
 「どうにもしようがないから、あきらめて死を選ぼう」などとは全く考えない。思いっきり悪足掻きするのが動物である。「自分は生きたい!死にたくない!」と強欲するのであり、屠殺場へ引っ張られていくことを察知した牛や豚と同じ思いである。
 こうした未曾有の生命危機が迫ったときに、遠い遠い過去の生命記憶が呼び覚まされるのではなかろうか。その生命記憶とはどんなものか。
 現在、地球上で最も劣悪な環境に住んでいる生物は、火山ガスや温水が噴出する場所であったり、海底火山の噴出孔付近である。後者が生命誕生の有力候補であり、そこには、今日、最も原始的な構造の原核生物が棲んでいる。
 これが進化した多細胞動物にも原始生命記憶として刻み込まれていると考えるしかなかろう。
 ここで、最も劣悪な環境と言ったが、生命誕生の頃の原核生物にとってはこれが最適環境であったと言えるのである。先に言った前代未聞の天変地異とは、大隕石の衝突で地球上のあらゆる所が火山噴火と同様な状態になったと考えて良いのではなかろうか。
 その環境に適合するには、自分の遠い遠い過去の時代の原核生物に成り代わればよいというものである。
 こうして、今までは単なる過栄養の排泄として、自分の細胞と同じタイプの真核細胞(DNA複相)を放出していたのに代えて、その前段階の原核細胞(DNA単相)を自分自身の身を削って大量に放出し、その生命体は息絶えたのではなかろうか。

 また、そこまでの生命記憶が呼び出せなかったとしても、原核細胞(DNA単相)を大量に放出することになったことであろう。
 そう思われるのは、初期の多細胞動物は器官の形成までは進化しておらず、個々の細胞は1真核生物としての心をまだまだ持ち備えていたであろうからである。
 かかる未曾有の生命危機が迫ったときには多細胞動物は既に動きを失い、死に向かっていたであろう。そうなると、それぞれの細胞たちは、くっつき合ったままでは逃げるに逃げられず、別れ別れになりたい気持ちになるであろう。
 それが可能な者たちは過栄養の排泄に取り組む細胞群である。
 まずは真核細胞(DNA複相)の形で逃げ出しを図る。
 それに続く者たちは、DNAを複製させて細胞を分裂させるにはあまりにも時間がかかるから、とにかく逃げ出したい一心で、単に細胞を2分するだけで離れていこうとしたのではなかろうか。
 そうなると、DNAは単相となり、核を保護する二重の膜も作ることなく、まさに原核生物と同じ姿になって離れるしかない。これが卵子の基本的な姿である。更には、2分されたものの、細胞膜を作る暇さえなかった者は、核のみを包む膜を作り、極小の原核生物と同じ姿になって離れるしかない。これが精子の基本的な姿である。

 放出された原核細胞は原核生物として生きようとする。でも、容易には栄養にありつけないから、大半は死ぬしかない。しかし、死にそうになっても、先に述べたように共食いによる合体によって命を長らえることができる。
 そして、その成功例が2つあったと考えてよい。
 一つは、現生動物が放出する配偶子と呼ばれるもので、単相のDNAを持ち、かつ、細胞内物質を全部持ち合わせていて、これが共食い(合体)することで複相のDNAとなり、元の生命体を構成する真核細胞と同じになって、これが元の生命体へと成長していくのである。でも、こうした方法を取る種は現生動物ではまれである。
 もう一つは、卵子という配偶子と同質のものと、精子という単相のDNAしか持ちあわせない極小のものとの共食い(合体)である。これによって複相のDNAとなり、元の生命体を構成する真核細胞と同じになって、つまり受精卵となって、これが元の生命体へと成長していくのであり、この方法が現生動物の主流となっている。

 こうして誕生した生命体は成体になる前にほとんどが死に絶えたであろうが、運よくどれだけかは環境条件が整った所に流れ着いて生き長らえ、本体と同じ多細胞生物に成長し、過栄養の排泄をするまでになる。
 しかし、以前のような快適な環境とは大きく異なっていたであろうから、絶えず生命の危機と隣合せの状態に置かされていて、過栄養を排泄できる状態になると、その役割を担う細胞群から放出されることとなる細胞たちは、一刻も早く本体から離れていこうとして、従前の真核細胞とはならず、基本的には卵子または精子のいずれかの形でもって脱出を図ったのではないかと考えられるのである。
 前者をメスといい、後者をオスという。
 このオス化・メス化の分離は、きっと1代、少なくとも数世代にして生命記憶として刻み込まれ、2セットあるDNAが全く同一形か若干の違いがあるかによって、それぞれの個体ごとに、生命記憶の呼び出し方に違いが出て、いずれかがオスとなり、メスとなったことであろう。
 そして、その後に快適な環境が回復しても、過栄養の排泄は、従前の真核細胞に戻ることなく、卵子または精子という原始的な原核生物の姿に固定されてしまったのである。
 ところで、これほど劇的に環境に適応でき、かつ、それが生命記憶として残り得るか、という疑問が生ずるであろうが、小生が原種に近いヤーコン(アンデス原産のキク科の芋)を経年栽培する中で、それらを感じ取ったものだから、これは大いに有り得ると思うのである。このことに関しては、ヤーコンの詩という随筆風の物語で書いているので、お読みいただけると幸いです。

 さて、事ここに至って、動物は有性生殖という様相を示し、あたかも「子孫を残す」やに受け止められてしまうが、卵子や精子の放出というものは、快適環境にあっては、動物本体にとって、これはあくまでも「単なる過栄養の排泄」に過ぎないのである。
 ちなみに、栄養状態が悪化すると、成体を維持するのがやっとになり、とうてい過栄養の排泄はできなくなり、卵子・精子の放出が止まるのである。そして、当然にして哺乳類にあっては発情しなくなるのである。
 そして、忘れてならないのは、卵子や精子もれっきとした生き物であり、彼女ら・彼らには無理やり排泄させられたという感覚は全くなく、過栄養による肥満の息苦しさから脱却を図るべく、自らの意思で本体から離れていこうとしただけなのであり、また、貧栄養下にあれば、離れたくないと思っただけのことである。
 なお、その後の進化の過程で、オスはますますオス化し、メスはますますメス化を顕著なものとしていき、今日に至っているのであるが、これは、生き物である精子が、そして卵子が、その望むところから、成体をそのように作り変えさせてしまったとも言えよう。
 極論すれば、動物と言うものは、まず先に精子・卵子ありきであって、その精子・卵子の進化に引きずられて、オス・メスという成体が進化させられたと言えるのであり、また、そうしたことから、「成体は、精子・卵子の担体である」と言うこともできるのである。これは、卵子そしてメスに顕著なものとなり、このことに関しては次ページ(その3:体内受精そして胎生へ)で詳述する。

 ところで、卵子や精子の放出というものは、もう一つの側面を持ち備えている。
 産卵や射精によって息絶える動物が数多く現生するのであるが、これは、自分が原核生物に成り代われば助かるかもしれないという原初の生命記憶を今でも引きずっていて、自分自身の身を削って卵子なり精子を大量に放出するからであろう。
 そして、これはヒトの生命記憶にも存在していると考えてよいと思われるのである。
 なぜならば、大量虐殺されるかもしれないという危機が突如として訪れたときには、ヒトは盛んに性交するようになり、メスは排卵期でもないのに排卵し、オスは何度も射精できるのである。日本では、太平洋戦争の終結で玉音放送が流されたのち、靖国神社で白昼堂々と幾組もの男女が長時間もつれ合っていた事実からも明らかなことである。
 さらに付け加えれば、平常時にあっても、ヒトのオス・メスが結合してクライマックスを迎える段に至ったときの精神状態というものは、小生がオス性の動物であるからもしれないが、破滅的、破壊的な気分になってしまうからである。そして、事が済んだ後に虚脱感、恍惚感が訪れるのであるが、これは死の快悦ではなかろうかとさえ思えるのである。

 話が少々くどくなるが、我々動物には「子孫を残す」という生命記憶がないのと併せて、産卵・射精あるいは体内受精によって「子が生まれる」ことを全く知らないのである。
 単に産卵・射精するだけの多細胞動物にあっては、放出した卵子や精子は海水によってどこかへ流されていってしまうから、それらが合体して受精卵になり、自分と同型の生き物に成長することは観察しようがないし、たとえ受精卵が自分の体に付着して成長したとしても、その因果関係を理解するだけの解析能力を彼らの脳が持ち備えているわけがない。
 また、交尾によって妊娠し、やがて出産するという哺乳類にあっても、その因果関係を全く理解していないのである。彼らは、メスが一人前の大人になったら、自然と子を産むようになり、死ぬまでそれを繰り返すとしか知覚できていないのである。
 妊娠の要因となるメスの発情は、単にオスとの濃厚な接触を求めたがっているメス特有の生理現象と知覚するだけであって、これもメスが一人前の大人になったら、定期的に一定の日数にわたって続くだけのものとして理解しているに過ぎない。もっとも、妊娠・授乳中のメスは発情しないのだが、腹が膨れてきたメスは授乳が終わるまでの期間、発情をストップするものだということを彼らは学習して知っているものの、ただそれだけのこととして完結してしまうのである。
 加えて、霊長類の中でも社会性を高めている大型類人猿ともなると、交尾は社会学習に頼らねばこれらができなくなる。オスが幼少のときから動物園で隔離されて育てられると、大人になっても交尾することを知らないから、メスが発情しても何もしないでいる。ヒトも、性交という行為が男女間で行なわれるものであり、その仕方はこうだと、誰かに教えてもらわないと、結婚しても単に抱き合っているだけで性交しない。
 たいていの霊長類学者は、霊長類(サル)のオスは、より多くのメスと交尾を盛んに行うことによって、自分の子孫を多く残そうとする行動を取っていると思い込んでいるようであるが、そうした学者方は、時折次のような感想を漏らす。

 …種により差異はあるが、オスは自分がこしらえた子に対して余りにも無関心である。オスが関心を寄せるのはメスを妊娠させることだけである。確かにあのオスの子であるのに、不思議なことにオスはその子を意図的に殺してしまった。こうしたことやそれ以外にも、自分の子孫を多く残さんとする行動に反する行為が散見され、理解に苦しむ。…

 こうした感想は、皆、間違った思い込みによるからであって、霊長類のオスたちは交尾と妊娠・出産の因果関係を全く知らないのであるから、当然にして、人の理解に苦しむような行動に走るのである。
 なお、交尾と妊娠・出産の因果関係をヒト以外の動物は知らないという学者も多いが、そうした方も、動物は無意識的に「子孫を残す」という行動を取っていると考えておられる。
 これも間違っている。その無意識的なものとは何か。その無意識的なものはどうして生まれたのか。
 これについては、生命記憶を持ち出すしかなかろうが、既に説明したとおり、そうした生命記憶は一切存在し得ないのである。もっとも、個体発生時において卵子と精子は結合するという生命記憶、成体になってからの卵子または精子の排泄という生命記憶は存在するであろうが、これらはそれぞれの段階で呼び覚まされる生命記憶であって、両者を関連付けるという生命記憶は絶対的に存在しえない。なぜならば、関連付けというものは意識の世界で働くだけのものであるのだから。

 しかし、オス・メスは大人になれば異性同士がやたらと惹かれ合う。哺乳類ともなると、メスは発情までしてオスを積極的に誘い込むし、オスはメスの発情を察知したら、いてもたってもいられなくなってしまう。もっとも、ヒトという動物は、たいていの者がこうしたことに対して余りにも鈍感であったり、あるいは随分と控えめにしている不思議な生き物である。
 どうして、このような振る舞いを動物そしてヒトがするのか。これこそ無意識的、衝動的な行動であるのだが、それはフェロモンのいたずらであり、フェロモンは無意識の世界を司る原始的な脳「視床下部」のみを興奮させるからである。なお、フェロモンは化学物質であり、卵子と精子もこれを放出しており、お互いにそれを細胞膜で感知して惹かれ合う。
 なお、フェロモンの詳細についてはフェロモン仮説=男と女はなぜに惹かれ合うのか を参照されたい。

(以下、その3:体内受精そして胎生へ に続く。)


(本稿は次ページ以降で青少年育成上ふさわしくない表現が含まれますのでアダルトサイトでの投稿としました。)





  
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